半分妄想 長いです
様々なテクノロジーが発達し
AI技術がすさまじい勢いで進歩し
どんどん人がやることはAIでできるようになり、様々な体験はバーチャルで体験可能となっていく。
今はまだAIは様々な限界や得意不得意があってそれに対して疑問?を投げかけたりする人や
人がAIに負けないようにとか言う人はいるけれど
そういう技術的な問題はきっと、そう先ではない未来に乗り越えられる。
例えば我々の仕事だって、そのうちAI教師みたいなものが登場し、我々に変わって授業を行うようなこともやってくるでしょう。
AIなら無限に働いてくれるし
24時間答えてくれるし説明もできる。
きっとそのうち答えを教えるのではなくて、ヒントを与えたり、その人それぞれにあった課題の与え方や言葉のかけ方もできる世になっていく。
たぶん、教師という仕事に限らず、様々な仕事でそうなっていく。
じゃあ、そこで人はなにをするの?
人はいらなくなるの?
あらゆることが仮想現実みたいなバーチャル空間や拡張現実で体験可能になっていって、データが重要になっていく。
そうでしょうね。
そういう社会はいずれやってくる。
でも、それでもなお、いや、むしろそうであるからこそ、人であることは重要な意味をもち、その場所、その物体というものの価値は高まっていくと思います。
人は人との交流がしたいし様々なものに触れあいたいし、経験がしたい。
五感で感じたい。
いや、五感だけじゃないような気もしています。
最近感じるのは、重力、引力、重さ、質量
こういったもの。
つまりは、そこにあるということの重要さ。
万博へ行って強く感じたのは、そこでした。
今回の万博は、技術の進歩の為か映像系の展示が多くありました。
映像そのものの没入感や、映像が自分の動きとリンクしたりという楽しさはある。
でも、そういったものよりも心が動いたのは
圧倒的な規模感
建築物のすばらしさ
コーヒーの美味さ
食事の味
風の強さ
日光の強さ
触れたものの感触
人の多さ
その人たちの感情
といったその場に行くからこそ感じられること。
これらは、その場に行かないと感じることは出来なかったこと。
YouTubeなどで建築物の形はなんとなく見ることができる。
言葉の上では広さや味の感覚はつかめる。
でも、実際に経験しないと本当のところは「実感」としてない。
その実感、リアルであることの価値みたいなものが、今回の万博では感じました。
イタリアのパビリオンがすごい人気なのは
映像系が多い中で本物の美術品を持ってきていることにあると思います。
フランスも。
他の国だっていろいろ本物をおいてあるのだけれど、イタリアの力の入れようは圧巻。
イタリアがなんでそういう展示にしているのかはわからないけれど、なんとなく本物を実際に見るということの価値をわかっているのだろうなと思います。
たぶん今の技術なら、ホログラムみたいな感じで投影するようなことはきっとできる。
でも、そうではなくて本物をもってくる。
アメリカの火星の石にしても、映像で見ればわかるし素人目線では何の変哲もない石なのに、でも、見たいんです。
iPS細胞の心臓が動く様子だって、映像で見ることができるけれど、でも、やぱり目の前で実物を見ると違うんです。
たぶん、人は実際に見たいし触れたいし、全身で感じ取りたいしコミュニケーションが取りたい。
オンラインでやり取りできるしzoomなどでコミュニケーションは取れる。
のに、実際に会いに行くし触れ合いに行く。
そういう質量に対する感受性みたいなものが人にはあって、それが満たされることが身になって、充実とか幸せとか、そういうものに繋がるのだと思う。
だから、たぶんAIなどがもの凄く進歩していくけれど、そういったものが世にあふれていくからこそ、人であることの重要性や、そこに物があるということの意味は大きくなっていくのだろうと思います。
修学旅行で万博行く子達もいるそうじゃない?
同じように感じる必要はないけれど、ちょっと、そんなことを考えながら行って来てもらえたら、ただのデカいイベントじゃなくて違う見え方がするんじゃないかなと思ったり。