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比べること、競うこと
書いてて「あ、そうか」と思ったのだけれど
きっと比べ「られる」が嫌なんだ。
誰かから言われる
「◯◯くんは」「◯◯さんは」これが嫌。
だいたいすごい人と比べられるから。
もちろん「出来ていないこと」を曝されるってのも嫌だけど。
大事なのは比べる相手を「自分で」設定出来ているか
なのではないかな。
「誰かに」ではなく「自分で」
これが大事。
ここでもやっぱりキーワードになってくるのは
主体か否かということ。
互いに競い合っている人たちが伸びるのは
互いに主体だから。
仲良しで、わりとできる子もいて、勉強教えあったりしてて
でもあまり伸びないグループは
周りも出来てないことに実は安心しているから。
それは「周りに合わせた自分」となっているから
主体に実はなってないのだろう。
アイツも出来てないからまぁいいか
みんな出来てないからまぁいいか
そういう「周り」から自分を規定していく感じは
主体的とは程遠い。
比べたり競ったりというのを
自分から設定していかないといけないんだろうね。
比べたり順位をつけたり
順位を公表したりってことが
されなくなってきてしまった社会では特に。