読解 | ZENT進学塾

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当塾の国語は

 

《中一、中二》

知識と文法の徹底

 

《中二後半~中三》

上記の確認+読解

 

という構成になっています。

 

もちろん、中一、中二のうちだって、多少の読解は行っていますが、メインは知識文法です。

 

なぜこういった構成になっているかというと、まず、言葉を知らねば文章など読めないから。

 

そして、日本語の構造がわからないと、細かい表現の違いが見分けられなかったり、記述が上手く書けないからです。

 

もう一つの理由として、暗記するという事の意味を理解してもらうというものがあるのですが、今回は読解の話にしぼるので割愛します。

 

 

さらに、文章の読解には、精神的な成長を待たねばならないことがあると考えているからです。

 

幼いうちは、複雑な思考や抽象水準の高い思考は難しい。

 

中学二年生の途中から、反抗期に差し掛かったりしてやっと、その辺の思考ができるようになる子が多いと感じているからです。

 

 

さて、現在、中学二年生は一部、上位志望者に向けて、かなりの難度の高い読解の問題を別課題としてわたし、ひたすらに添削や解きなおしをさせています。

 

城北や豊島岡、巣鴨、早慶、市川などなど、名だたる学校の入試問題です。

 

始めのうちは上手く読めない子も多い。

 

けれど、そこをじっくりじっくり何度も読んだり、文章内容を説明したり、背景知識を教えていったりしながら直しをしていくと、徐々に読めるようになってくる。

 

そして、設問にも的確にこたえられるようになっていく。あるいは、間違え方が正しくなる。

 

間違え方にもレベルがあるんですね。

 

「それを選ぶのはまあわかる」とか「それはねーよ」とか

 

 

 

読解が苦手というのは、とても漠然としていて、何が問題なのか分かりにくい。

 

センスがないからとか言って、諦めてしまう人もいます。

 

けれども、読解が出来ないというのには、ちゃんと理由があります。


【読解が出来ない理由】

① 言葉を知らない

② 日本語の構造が分かっていない

③ 文章を読んでいる量が少ない

④ 想像力を欠いている

⑤ そのレベルの思考をしたことがない

 

大まかに、この5つではないかと私は考えています。

 

だから、当塾は中一、中二は①②③を重視します。

 

まずは言葉を知り、日本語を知る。そして、いろいろな文章を読み、読むリズムを体得してもらいます。

同時に、小説で④を行い、状況をイメージしたり、相手の考えを想像するという事をしています。

本当は音読してもらいたいのだけれど、授業中だとそれは難しいのでやっていません。

何とかしてやろうかな?とは思っていますが。

 

そうして、ある程度の感覚や説明にたえうるだけの成長をしてきたら、やっと本格的な読解に突入して⑤の段階に移ります。

 

 

上記の難関校の読解をわたされている子たち、それぞれに差はあれど、だんだんよくなてきているんですよね。

 

レベルの高い文章をいくつか読み、その水準が当たり前になってきているのだと思います。

 

さらに、その文章を時には細かく解説され、時にはノーヒントで直しをさせられていくうちに、「読む」ということがいかに難しく、精神を使うかが分かってきているのでしょう。

 

読書量と読解力に相関はないなんていわれるけれど、そんなことは絶対に有りません。

 

読書が好きな子は、文字を読むことに慣れています。

 

読むという行為そのものが好きだったり、そこから想像することが好きだったり、新たな知識や世界観を知るのが楽しかったり、その人それぞれに楽しみ方は違うでしょう。
 

けれど、その慣れが影響ないなんてことがあり得ますか?って私は思います。

 

 

たくさん読めば、自ずとわかってくることがたくさんあります。

 

前もこんな文章なんかよんだことあるな

 

どんなはなしだったっけな?

 

あ、そういえば、あれってこういうこと?

 

とか。

 

そういう繋がりが必ずある。

 

 

そして、我々は、生徒たちがどうにもわからんなぁと思ったとき、明らかに無理であろう文章に出会ったとき、それを説明してあげることが出来る存在でなければならない。

 

さらに、適切な文章を読ませてあげられる存在でなければならない。

 

関連する内容を提示できなければならない。

 

 

何かの文章を読んだ。そして問題を解いた。

 

○×つけた。分からないものを説明読んで理解した。

 

終わり。

 

これでは意味がない。

 

 

その文章に対して、次はこういう文章を読んでみるとよいよ。

 

次はこれをやってみな。

 

と、言えるようでなければならない。

 

なんとなく関連する文章を読ませてあげる。

 

そこからさらに広げて説明を加えてあげる。

 

そういうことが出来ないならば、国語を教える身としてはレベルが低いのでは?と私は思っています。

 

 

私はそこそこそれができるようにはなったけれど、果たしてそういうことが出来る先生は、一体どのくらいいるんでしょうね。

 

国語って、読解って、つまりは思考そのものなんです。

 

だから、読解が出来ないなんてのは間違いで、思考が出来ていないんです。

 

その思考を出来るようにしていくのが、国語の指導であり、国語の勉強です。