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先ほどの記事、続けて書いても良かったのだけれども

 

あまりにも長くなったりするので別記事に。

 

 

じゃあ、オマエ、どんな授業やってんだよ! とか言われそうなので、少しだけ。

 

 

昨日扱った文章

池田清彦著『科学はどこまでいくのか』

矢野茂樹『語りえぬものを語る』

 

一つ目の方は、科学は言葉を正確に定義したいんですよという内容の部分

二つ目の方は、『猫は後悔するか』という一節

 

 

まず、一つ目の文章を普通に解き、そして、解説。

 

問題を解くだけならば、そこまでする必要はないのだけれど、私はそこから文章中にあった箇所から以下のように派生させていきます。

 

記号論

ソシュールの記号論

シニフィエとシニフィアン

 

言語によって見えている世界は異なる

 

世界の切り取りかたは言語に支配される

 

思考は言語に縛られる

 

唯物論、唯名論

 

イデア

 

クオリア

 

アインシュタインとタゴールの対談 月はそこにあるのか

人間が認識するから存在するのか、存在するから認識するのか

 

などなど

 

と、このように派生させていろいろなことを説明しました。

 

理解できた部分と、よく分からなかった部分とあったはずです。

でも、それで構いません。

 

 

そして、二つ目の文章を解き、解説。

 

こちらの文章は、

 

反事実的可能性を考えるためには、世界が分節化されていなければならない、その為には、言語が分節化されていなければならない。

そして、それらは同時に成立する。

 

というもの。

 

非常に難しい。

 

これが、先ほどの記号論とどうリンクするのか。

直接的にリンクするのは、上記のうちのこの二つです。

 

世界の切り取りかたは言語に支配される

思考は言語に縛られる

 

 

わかります?

 

まあ、このブログを読んでくださっている方が分かるかどうかはどうでもよくて、こうやっていろいろなことを一つの文章から展開させていく。

 

そして、いろいろなことを考えさせる。

 

こういうことをしていくのが国語の授業でしょう?と私は思っているわけです。

 

 

でも、国語の授業ってないがしろにされがち…

 

国語をちゃんと指導できている塾もあまり多くない印象。

(私が凄いとは言っていません。私だって、まだまだだと自分で思っています)

 

最近国語のスポットライトを当てるような風潮は出てきたけれど、それでも国語って軽視されがちに思います。

 

最重要科目は国語だと、私は思っています。