我々は 《走る》 と言われれば
まさしく我々自身が足を動かし、我々そのものが動く 「走る」 を連想します。
なぜならこれが 「走る」 という事であると経験から知っているから。
これを
車が走る、電車が走る、川が走る、道が走る、社会が走る
というように拡張していくことは、我々にはそんなに難しい事ではないでしょう。
現実は、これらの 〔走る〕 は 【走る】 であって、「走る」ではありません。
いわば、比喩として使ているにすぎません。
でも、割とすんなり受け入れることが出来る。
誰も
車が走る、電車が走る
程度なら比喩としてとらえてはいません。
これは、日本語という文化が 「走る」 の
「前へ進んでいくんだよね」というイメージを共有していて
【走る】に拡張しているからです。
ところが、多言語習得の場合
このイメージの共有は簡単には出来ない可能性があります。
文化圏が違い、言語が違うと、見えている世界も変わってしまうからです。
ましてや、子どもだと日本語ですら
意味の拡張≒イメージの把握
が上手く出来ない子も多くいます。
だから、国語を鍛えて母語での表現力の幅を広げていく方良いのではないかな?
と思っています。
母語の意味拡張が出来ない子が
多言語の意味拡張はよりハードルが高いであろうから。