よく相談されることの一つに、「うちの子全然勉強しないんですけど…」というものがあります。
おそらく、学生のお子さんがいる家庭の永遠のテーマなのだろうと思います。
ここでは、どうすれば子どもは勉強をするのか、私なりの考えを書いていきます。
大前提として、私たち人間は欲望に忠実です。
特に、自分を律するということができない子どもというのは、その傾向が顕著です。
律することができない=自立できないから、被保護者なわけで、当然です。
では、どうすれば良いのか。
それは、周りの大人たち、保護者が勉強をするように仕向けることです。
というか、そうでない限りは勉強なんてしません。
やりたくないのだから。
当たり前?
いえいえ、実は当たり前に「勉強をさせる」という環境を整えられている家庭はそう多くはありません。
もちろん、口では子どもに「勉強しなさい」と言うでしょう。
しかし、それだけではダメなのです。
まず、子どもたちは基本的に「勉強の仕方」を知りません。
やったこと無いのですから、やり方が分からないのは当たり前なのです。
我々だって、「勉強の仕方」は分からなかったはずで、いつしか自分なりのやり方が、気がついたら身についていたのです。
しかし、大人たちはその事実を忘れてしまっています。
だから、「勉強しなさい」といえば、子どもは勉強がやれると思い込んでしまっています。
しかし、子ども目線では「やれ」と言われても、どうしていいのか分からないというのが実情です。
ですから、これはお願いに近いのですが、低学年のうち(反抗期が来るまで)は、親御さんが「一緒に」、勉強をしてあげてほしいと思います。
一緒に宿題をやるとか、一緒に暗記をやってみるとか、そうやって、実際にどうやってやるのかを見せてあげることが重要です。
私が出す宿題の中には、子どもが一回授業を聞いただけでは対応するのが難しいと思われる宿題も混じっています。
それを、横で片手間でもいいので見てあげる。
一緒にやってあげる。
そういうことをしてみると子どもが勉強をする意識は少しずつ形成されていきます。
そしてもう一つ、おそらくこれが最重要なのですが、「親が勉強をする姿」を見せることです。
出来るだけ幼いうちからがいい。
「やりなさい」というのではなく、「親がやる」のです。
「親の背をみて子は育つ」「子は親の鏡」という言葉がありますが、これらの意味は、例えば、「家に本が多くあり、親が本をよく読んでいる家庭の子どもは、気がついたら子どもが本を手に取って、気がついたら本を読むようになっている」ということで、つまりは幼少期の子どもは親の真似をするということです。
だから、親がいくら「本を読め」と言ったところで、そもそも親が読んでいないならば、子も読まないのです。
だって読むものに囲まれて育っていないのですから。
これと同じことが勉強でも起こります。
親が勉強する姿を子が見ていると、子は、そういうものなのだと認識し、その真似を始めます。
年の近い兄弟なんかがいると分かりやすいのですが、次男、次女は往々にして、小学校に上がったくらいの兄、姉が勉強を始めると、それの真似をして「勉強らしき何か」を始めます。
子は、周りの人の真似をしながら成長していくのです。
小さい子ほど、その傾向は強い。
だから、「どうすれば勉強をするのか」という問いに対する私なりの答えは明確で、「自分が勉強すればいい」になります。
大人になると、いわゆる「勉強」という勉強は、する機会が少なくなってしまいます。
それは非常にもったいないことだし、実は子育てにおいてもあまりいいことではありません。
どうにかして、「みんなが勉強をする環境」というものを、作っていけるといいなと思います。
その一環として、「大人の国語講座」なんてものも、やってみたいなと思っています。