おはようございます
9月26(火)・27日(水)の…
これまでの2回に続き…
第3回となる今回のテーマは…
本編に入る前に…
「喜多院」について復習してみました
喜多院は天台宗の寺院で…
宗教的な儀式や伝統的なお祭りなど…
四季の移ろいの中で様々な催しが楽しめます
例えば…
ご本尊(お大師さま)は…
良源(りょうげん)
良源は平安時代のお坊さまで…
観音様の化身・生まれ変わりと信仰され…
喜多院の歴史は古く…
淳和天皇(じゅんなてんのう)の命で…
円仁(えんじん=慈覚大師(じかくだいし))が…
天台宗の教えを東国に広めるために…
「無量寿寺(むりょうじゅじ)」として開創しました。
しかし、その後…
平将門(たいらのまさかど)の乱(承平5(935)年)で…
比企能員(ひきよしかず)の変(建仁3(1203)年)で…
河越城(かわごえじょう)の戦い(天文6(1537)年で…
すっかり衰退した無量寿寺でしたが…
江戸時代(二代将軍・徳川秀忠)に入って…
この寺を復興させた御仁が…
徳川家康の側近として江戸幕府に仕え…
慶長4(1599)年、無量寿寺の第二十七世住職となった…
同時に、寺号も「喜多院」に改められました。
ところが、またもや…
寛永15(1638)年に発生した川越大火で…
山門と経蔵(きょうぞう)以外の伽藍全てを…
しかし、翌年…
三代将軍・徳川家光の命により、江戸城(現在の皇居)から建屋の一部が移築されたのです
これが現在でも残る…
客殿、書院、庫裏(くり=台所)であり…
その他、慈恵堂(本堂)、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門なども…
数年のあいだに再建されました。
と言っても過言ではないですね
喜多院について学んだところで…
いよいよ訪問です
喜多院にはいくつもの見所がありますが…
この日訪問したのはの4ヶ所
参道を通って…
車を停め…
(正面の山門からではなく)
まずは、Good Angleで…
手水舎(ちょうずや)も趣があります
そして、右手にある大きなお堂
それが…
参拝を済ませて、扁額(へんがく)を眺めると…
調べてみると…のような逸話が
そう言えば、喜多院の住所は…
この地名についても…のような逸話が
更に、「川越市 寺尾自治会」のサイトにも…
のような記述が
「海なし県」と言われる「埼玉県」ですが…
「潮音殿」を切っ掛けとして見方が変わりました
本堂の脇には…
のような説明書きがありました
後で調べてみると…のような逸話が
以上が、全国に広がる角大師(つのだいし)の由来です。
本殿参拝を終えると…
右手に見えたのが、こちら
寺務所でチケットを購入して…
本殿に繋がる長い廊下を眺めながら…
最初に訪れた建屋…それが…
「客殿」は…
三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が…
江戸城(皇居)から…
移築させたものです。
客殿の“目玉”は、12畳半の…
天井には…
彩色された81枚の花模様があり…
室外には…
湯殿(蒸し風呂)と厠(かわや。便所)も…
設けられています
因みに…
この客殿が江戸城にあった頃…
厠では毎日検便が行われ…
家光の健康状態を確かめていたそうですよ
続いては…
「書院」も(客殿と同じく)…
江戸城(皇居)から移築されたもので…
その内、8畳間2室が…
書院が江戸城にあった頃…
「徳川家光の乳母」として知られる…
春日局(かすがのつぼね)が…
使っていた部屋だそうです。
まるで春日局がいるかのように…
曼珠沙華が満開でした
最後に訪れたのは…
五百羅漢とは…
仏陀に付き従った500人の弟子
のことを言います。
(Wikipediaによれば)…
日本全国には26の寺に五百羅漢像が祀られているほか…
中国にも7つの寺に五百羅漢があるそうです。
例えば…
一方、日本ではの4寺が…
と言われています
喜多院の五百羅漢の数は…
43年間(天明2(1782)年~文政8(1825)年)に亘って
建立されたものだそうです。
一部ですが、喜怒哀楽の石像をご覧下さい
(画像出典:喜多院公式サイト)
次回のテーマは…
10月21日アップ予定で頑張りまっち
今日の一句です。
ではでは
ろっきぃがお送りしました