おはようございます
今年は、何度もお花見を楽しむことができました
ではありますが…
更に、まっちゃんから…
(ぎょいこう)
との提案が
ぎょ、ぎょ…
初めて聞く単語に戸惑いながら…
私の返事は…もっ、もっ、もちろん…
(ぎょい)
早速、ネット検索してみると…
御衣黄とは…
ソメイヨシノが散った後…
4月中旬から下旬頃に咲く桜のことでした
御衣黄はサトザクラの品種の一つで…
開花したばかりの花は淡い緑色
その後、徐々に黄色く変化し…
やがて花びらの中心部が赤く染まっていくのが特徴です。
「御衣黄」という名前は江戸時代中期から見られ…
花の色が貴族衣装の「萌黄色」に似ていることから…
貴族の着物を意味する「御衣」(ぎょい)に因んで名付けられたそうです。
御衣黄について、さらっと学んだところで…
4月5日に行ってきました
行先は、我が家から車で10分ほどの…
「松陰神社」と言っても…
山口県萩市の松陰神社ではありません。
(と同じアングルで画像を集めてみました )
そう
東京都世田谷区には、もう一つの「松陰神社」があるのです
参拝の模様に入る前に…
ちょこっとお勉強
一つ目は…
「明治維新を牽引した政治家を育てた“陰の立役者”」
吉田松陰は…
長州萩城下松本村(現在の山口県萩市)で生まれました。
吉田松陰が処刑されてから31年後の明治23(1890)年、松下村塾の改修が行われ、このとき実家の私祠(しし)として土蔵造りの祠(ほこら)が建立されました。
更に、明治40(1907)年、松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって本殿を建て、土蔵造りの祠を移したのです。
これが萩の松陰神社の始まりです
一方、二つ目は…
吉田松陰が安政の大獄(安政5~6(1858~1859)年)で斬首された場所は…
江戸伝馬町牢屋敷(現在の中央区日本橋小伝馬町)です。
因みにの辞世の句はこちら
享年29歳
吉田松陰の亡骸は南千住の回向院に葬られましたが…
4年後、門弟の高杉晋作や伊藤博文らにより、世田谷にあった長州毛利藩主別邸(現在の世田谷区若林)の楓(かえで)の下に改葬され…
更に3年後の明治15(1882)年、の墓の近くに社殿が造営されました。
これが世田谷の松陰神社の始まりです
以上、萩市の松陰神社と世田谷の松陰神社を比べてみると…
世田谷の松陰神社のほうが創建年が早いことが判りました
松陰神社のすぐそば(徒歩1分)に国士舘大学がありますが…
初代館長が松陰神社の楓の赤さに松陰先生の思いを感じ…
これが国士舘の楓の学章になっているそうですよ
それでは、参拝しましょう
今回は車 でしたが…
電車 も便利です
松陰神社前駅からですと…徒歩3分
ソメイヨシノも咲いていますが…
目指す御衣黄は山門の手前の…
こちら
御衣黄の全容
花弁にズームイン
境内の御衣黄はこれ1本のようですが…
これで帰ってしまってはバチが当たるので…
こちらが、世田谷の松陰神社の全体図です
元々この大鳥居は、明治41(1908)年の松陰50年祭の際に伊藤博文、木戸孝允、山県有朋、乃木希典などの門弟たちが寄進した石の鳥居でしたが…
平成23(2011)年の東日本大震災後に「倒壊の恐れがある」ということで、鉄製の鳥居に建て替えられました
大鳥居中央に掲げられていたのは神額(しんがく。神様の名前)ではなく…
「五瓜に卍」(ごかにまんじ)と言う家紋でした。
そう
吉田家の家紋なのです
上の全体図の番号に合わせて、南から北へ…
大鳥居のすぐ右側にあるのが…
創建以来、松陰神社には宮神輿(みやみこし)はなかったのですが…
平成11(1999)年に建造されました
吉田松陰の命日である10月27日に近い10月第四週末には…
幕末維新祭りが行われています
神楽殿は、昭和7(1932)年に旧府社に昇格する際、毛利家より寄贈されたもので…
平成12(2000)年に大改修・増築されました
御社殿に向かって左手に手水舎(てみずや or ちょうずやなどと呼びます)があります
この手水舎は、昭和2(1928)年に、門下生や崇敬者により造営されました。
手水舎の向かい側には、吉田松陰の像がありました
このブロンズ像は、松陰神社鎮座130周年記念事業として、平成25(2013)年に設置されました。
拝殿手前の左右には32基もの石灯篭が並んでいます
この石灯篭は、明治41(1908)年の松陰神社50年祭で、伊藤博文、木戸孝允、山県有朋、乃木希典などの門弟たちが石鳥居と共に奉納したものです。
石灯籠の右側に、次のような立札が
それが…
こちらの松下村塾は、萩市の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものです。
因みに、萩市の松下村塾は…
平成3(2015)年、世界遺産に登録されています
いよいよ御社殿です
(前述の通り)明治15(1882)年、吉田松陰の墓の近くに御社殿が造営されました。
現在の御社殿は、昭和2~3(1927~1928)年にかけて、明治の元勲や崇敬者によって造営されたものです
世田谷の松陰神社を訪れたら、こちらも外せません
それが…
この一角には、吉田松陰を始め…
頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮など烈士の墓碑があります
そして…
上図①の…
中央が…
吉田松陰の墓碑です
まっちゃんのお陰で、今回も…
今日の一句です。
季語は「桜」(晩春)です
ではでは
ろっきぃがお送りしました