こんにちは
前回のブログでは、イタリア・プーリア州の州旗と紋章の中心に描かれた図柄がオリーブの木であり、これはプーリア州の特産品であるオリーブを“象徴”していることをお話ししました
プーリア州の州旗と紋章(中央にはオリーブの木が)
「国旗に込められた想い」に興味をひかれ、改めて世界の国旗を眺めてみると…
多くの国旗に…
国の“象徴”がデザインされている
ことに気づきました
そこで今回は、まずはインド国旗にフォーカスし、あわせて日本とその他の国旗についてもお話ししましょう
1.インド国旗のデザイン
インド国旗は3色の帯を基調として、中央には円形の図柄が描かれています
それぞれの配色と図柄にはのような意味が込められています
法輪のなかで放射する24本の線は、一日24時間と輪廻転生を表しているそうです。
紀元前300年の時代に、「一日24時間」の概念があったのだ…
さすが、「ゼロを発見したインド人」ですね
インドの多くの遺跡には、チャクラが彫られ、「インドの国章」にもなっています
2.インド国旗の変遷
次に、インド国旗が現在の形になった歴史をご紹介します。
その前に…
このテーマを語る上で、絶対に外せないキーワードは「英国によるインドの植民地化」ですので…
少し長くなりますが、17世紀から20世紀にかけてのインドの植民地時代を振り返ってみました
時代考証
17世紀に入るとスペイン・ポルトガルは没落し、代わって英国・オランダ、少し遅れてフランスがアジア海洋世界に進出してきます。
1640年、英国がマドラス(現在のチェンナイ)に建設したセント・ジョージ要塞
これら3国はアジア各国で争奪戦を繰り広げ、結果英国はインド進出に力を注ぎ、18世紀には英国覇権を確立しました。
1757年、英国がベンガル太守・フランス連合軍を破ったプラッシーの戦い
19世紀のインドの植民地(えんじ色の国々)
インドの植民地化を果たした英国は、本国から機械製綿織物をインドへ持ち込みます。当然に、伝統的なインドの綿織物産業は衰退してしまいます。
この頃、英国の東インド会社が使っていた旗がありました
1600~1707年 1707年~1801年 1801年~1858年
経済面では英国に従属し、生活面では困窮するインド…
さらに…
1858年、英国政府は「インド統治法」を可決し、東インド会社を国有化して英領インド帝国としたのです
この頃の英国が使っていた旗はこちらです
軍事・海軍用 国際的なイベント・国連旗用 インド副王・総督用
さらに…
したたかな英国はインドの知識人層・富裕層を懐柔し、1885年には傀儡(かいらい)政党の「インド国民会議派」を設けて諮問機関とし、政治的にもインドを操ろうとしました。
しかし…
① ジャムドジー・タタ(現在ではインド第二のタタ財閥の創始者)を始めとする民族資本家の出現、
② 日露戦争における日本の勝利(1905年)、
③ 同年のベンガル分割令(ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を地域的に分割して民族運動の分断を図った法律)への憤りなどから…
インド人の反英感情と独立への気運は一気に高まり、傀儡政党であった「インド国民会議派」では急進派が台頭し、1906年のインド国民会議において、ついに「カルカッタ大会4綱領」が採択され、1911年には「ベンガル分割令」も撤回されたのです
(長くなって、すみません。もう少しです)
私は、この「カルカッタ大会4綱領」が現在のインド政策にも繋がっていると考えています。
この「4綱領」をご紹介しましょう。
① ボイコット (英国商品の排斥)
「英国」を「C国」に置き換えれば、現在に通じる政策
② スワラジ (自治・独立)
現在に通じる政策
③ スワデシ (国産品愛用)
現行の「MAKE IN INDIA」に通じる政策
④ ナショナル・エデュケーション (民族教育)
現在に通じる政策
おつかれさまでした
それでは、本題のインド国旗の変遷に入ります。
1) 1906年
これまでの説明で、インドにとって「1906年」というのは、インド独立への気運が一気に噴き出した年だということがお分かりいただけたと思います。
そんななか…
最初のインド国旗は、インド独立運動の活動家サチンドラ・プラサド・ボースがデザインし、1906年8月7日にカルカッタ(現在のコルカタ)にあるパーシー・バガン・スクエア(グリーン・パーク)で掲げられました。
① 色:
緑はイスラム教、黄色はヒンドゥー教、赤は仏教を表しているそうです。
② 図柄と文字:
上段: 8つの蓮の花は、英国統治下の8つの州を表しています。
中段: वन्देमातरम्(ヴァンデ・マタラム)はサンスクリット語で「母(=祖国)への敬意」を意味しています。また独立運動の歌にもなり、インド人のあいだでは、今でも国歌と同じぐらい愛唱されているそうです。
下段: 三日月はイスラム教を、太陽はヒンドゥー教を象徴しています。
Sachindra Prasad Bose(~1941年)
2) 1907年
2番目のインド国旗は、1907年8月22日にドイツのシュトゥットガルトで開催された「国際社会主義者会議」で披露されました。
発表者のインド人ビカイジ・カマ女史は、この旗を掲げて、「貧困、飢餓、抑圧、奴隷制」を訴えたそうです。
上記1)とは色の配置が異なり、現在のインド国旗の配置の基になっています。
Bhikaiji Rustom Cama(1861~1936年)
3) 1917年
3番目のインド国旗(インド自治同盟旗)は、これまでの、そしてこれからの図柄に比べるととても異質な図柄です。
しかし、調べてみると納得しました。
考案者の一人はアニー・ウッド・ベサント女史という英国人女性で、1916年にはバナラス・ヒンドゥー大学を設立したほか、「全インド自治同盟」を発足しています。
さらに、1917年には「インド国民会議」の議長に就任。英国政府を攻撃するとともに、インド自治への移行を呼び掛けていたそうです。
同年、政治的な問題でベサント女史は逮捕・拘束されますが、そのときにこの赤と緑の同盟旗を振ることで抵抗を示したそうです。
Annie Wood Besant(1847~1933年)
この旗のもう一人の考案者は、最初期のインド独立運動で活躍した政治指導者のバール・ガンガーダル・ティラクです。彼はベサント女史とともに「全インド自治同盟」を設立しています。
Bal Gangadhar Tilak(1856~1920年)
4) 1921年
4番目のインド国旗(インド自治同盟旗)は、インドの自由の闘士ピンガリ・ヴェンカッヤがデザインしたものです。
彼はアンドラ・プラデッシュ州のベザワダ(現在のヴィジャヤワダ)で開催されていた「全インド自治同盟」に“赤”(ヒンドゥー教を象徴)と“緑”(イスラム教を象徴)の2色の帯で描いた図案を持ち込み、マハトマ・ガンディーに助言を求めました。
この図案に対し、ガンディーは“白”(それ以外の宗教を象徴)の帯を加えることと、国の繁栄を象徴する“糸車”を加えることを提案したと伝えられています。
こうしてでき上った4番目の国旗
この「糸車」こそが、インドの経済復興と人々の勤勉を象徴しているのです
ガンディーのイメージといえば、糸車でしょ
Charka(糸車)からChakra(法輪)へ
この偉業により、ヴェンカッヤは「インド国旗の原形を創った人物」として切手になるほどの有名人となりました。
Pingali Venkayya(1876~1963年)
でも…
果たしてヴェンカッヤの行いは“偉業”と言えるのか…
だって、3色にしたのも、糸車を入れたのも…
ガンディーですから
もしもあのとき、ガンディーがヴェンカッヤ案をそのまま受け入れていたら…
今ごろインド国旗は…
こうなっていたのかも
ヴェンカッヤ案と思われるものを、私が想像で描いてみました
5) 1931年
英国からの独立を目指したマハトマ・ガンディーは、国民議会(国民会議派)に働きかけ、1931年、初めて公のインド国旗が制定されました
全体としては現在のインド国旗に近いのですが、中央に描かれた図柄は「糸車」のままです。
しかし…
その「糸車」の意味は、当時大量にインドに入ってきた安価な英国製の綿製品を買わずに、インド人自らの手で糸車から糸を作ることで、英国の機械文明に対抗しようとする、独立への意志を強く反映するものであったのです
そう
すでにご説明した、この国産品愛用運動こそが、「スワデシ」なのです。
ここまでを書ききって…
現在モディ政権が進めている「MAKE IN INDIA」政策は、まさに現代版「スワデシ」なのだと思い至りました
6) 1947年
1947年8月15日のインド独立の少し前の7月22日、インド議会のなかに国旗制定委員会が設立され、1931年に採用されたインド国軍の旗を基に、新国旗が策定されました
それが現在のインド国旗です。
中央の象徴は「糸車」から「法輪」に変わっています。
なぜなら、「国旗の象徴は、特定の共同体や運動を代表するものであってはならない」という考えに基づいたからです。
ここまではインド国旗についてお話ししましたが…
今回のテーマを通じて、色々なことを感じました。
特に書き残しておきたいことは…
植民地化の“功罪”
「他国を植民地化すること」については、当然にその“罪”の部分が注目されます。インドの場合も、膨大な犠牲を伴いました。
ただ、それと同時に“功”の部分を評価できないと、例えばインドのケースでは、「英国=悪者」で終わってしまいます。
インドの場合の“功”の部分、それは(以前のブログでも書いたように)“英語力”が現在のインド発展の背景の一つであると感じています。
同様の観点で、現在中国が進めている「一帯一路」による“債務の罠”、新疆ウイグル自治区・チベット自治区の植民地化、台湾・香港問題も、“罪”の部分がクローズアップされています。
それと同時に、“功”の部分を(中国だけが自画自賛するのではなく)世界中の国から評価を受けられるように、中国自身が努力して欲しいものです。
さらに…
インド国旗について書き進めているうちに、私の興味はどんどん広がり、日本国旗やほかの国旗についても調べてみたくなりました
しか~し
気がつくと1本のブログに記録する容量を超えてしまったのです
ということで…
続きは次回に持ち越しとさせていただきます
次回は日本国旗とその他の国旗にまつわるエピソードをお伝えします
インドに関するリクエストやコメントもお待ちしてます
次回もお楽しみに
ではでは