「separation」などを意味する行為は、よくよく考えてみると、何度も描かれる。
「伊邪那岐」が、「千引石」を置き、「事戸」を度す(渡す)場面は、その代表か。
「天石屋戸」にしても、その機能は、やはり、「separation」と言えよう。そもそも,
「戸」は、何かと何かを隔てるものであって、その機能は、「separation」である。
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ところが…その【D】(戸、5)に当たるのが、「土左国」なのだ。そして、
【ALHA RBA ΘWSA】(土佐大神、444)=【ΣGL】(jackal、444)。(※「阿遅志貴高日子根神」だ)
【D】(戸、5)は、「疎」(奢加留)を含意。即ち…【十ROA】(戸、882)は,
【MBRYW十A】(separation、882)を含意。まさしく、それと同じように、
「伊邪那岐」=【DKR】(男、335)=「zakkāru」[NITA](男),に関しても,
「疎」(奢加留)、「阿遅志貴」(忿而飛去)·「taka」(leave behind)を含意。
#ここで、「伊邪那岐」=【DKR】(男、335)=「zakkāru」[NITA](男)は、
#(wavesなどが)「zaqāru」(are high)に掛かる。故に、「疎」(奢加留)は、
#「taka」(leave behind)のみならず、「zaqāru」(高)を含意する。その際,
#「高」(多迦)は、「疎」(奢加留)を含意…「zakkāru」[NITA](男)を含意。
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大事なのは…複数形の【DKRA】(男、337)が、「the male organs」の意味を持ち、同様に、
「zaqāru」(are high)も、「of parts of body, features in exta “protrude”」の意味を持つ点か。
見慣れぬ「exta」は、「occasionally used for the abdominal viscera, especially the bowels.」。
「features in exta」は、「腹の目立つもの」。この「protrude」(突き出し)は、「成餘処」、だろう。
つまり、そもそも「zaqāru」(高)=「zakkāru」[NITA](男)=【DKRA】(the male organs、337),
ということである。ここで、「zakāru」[MU](to name)=「zaqāru」(高)=「ḳՅi」(名高い)に注意。
更に、その「ḳՅi」(名高い)に、「甲斐」=【QHY】(numbness、226)が重層する点にも注意せよ。