>於是、天照大御神、告速須佐之男命、
>「是、後所生五柱男子者、物実因我物所成。故、自吾子也。
>先所生之三柱女子者、物実因汝物所成。故、乃汝子也。」
>如此詔別也。
>
>爾、速須佐之男命、白于天照大御神、
>「我心清明。故、我所生之子、得手弱女。因此言者、自我勝。」
>云而、於勝佐備、離天照大御神之営田之阿、埋其溝、~
(※古事記上巻より)
既に述べた通り、古事記に出てくる「生」は、その大半が他動詞であり、「うむ」で訓む。
自動詞「うまる」で訓むべき確例は、かなり僅かである。そんな中にあって、実のところ、
この箇所の「所生五柱男子」は、「生んだ五柱の男子」にも「生まれた五柱の男子」にも
読める。子が何から成ったのかを言いたい…そういう言葉の意図(=狙い)に鑑みれば、
「後に生んだ五柱の男子」と言うよりも、やはり「後に生まれた五柱の男子」と言っている。
だれが生んだのか?その生んだ主体を言わば曖昧にする言葉遣いで詔別しているのだ。
#古事記の「生」の大半が他動詞で用いられている中にあっては、
#他動詞にも自動詞にも訓めるというだけで自動詞に傾いている。
#この書き方が、意識的なものならば、かなり高度な作文と言える。
* * *
さて、もともと「無邪心」とか「無異心」とか言うスサノヲの自己表明を承け、
「ならば、あなたの心が清明であることは、何によって分かるのか」と問い、(※天照は疑念を持っている)
「宇気比をして、おのおの子を生みましょう!」という流れになったのであり、
この段階において、宇気比(勝敗の取り決めの宣言)の内容は、いずれか。
男子を生んだら勝ちか、あるいは、女子を生んだら勝ちか、どちらかである。
* * *
ここで…明示されている、明示されていない、という問題は横に置き、
古事記において、古事記の登場人物において、女子を生んだら勝ち、
という共通認識が在ると仮定する。即ち、それぞれが子を生むさいに、
「女子を生んだら勝ち」と頭の中で思いながら、子を生んだと仮定する。
この場合、天照は、女子を生んだ時点で、勝ったと思うだろう。また、
スサノヲは、男子を生んだ時点で、負けたと思うだろう。具体的には、
天照は、「そら見たことか、邪心が有ると出たじゃないか」と思うはず。
その場合に、天照の詔別は、どういう意図の発言として捉えられるか。
疑っていたわけなので、まさに疑っていた通りの結果が出たあとに、
わざわざ材質のことを持ち出し、男子は私の子、と発言する狙いは、
「私は勝ちではありません。私は負けです」と、あえて勝ちを譲ること。
だが…これは、いかにも不自然だ。スサノヲを疑っていたわけだから。
#これとは逆に、男子を生んだら勝ち、という共通認識が在ると仮定する。
#詰まり「男子を生んだら勝ち」と頭の中で思いながら、子を生んだとする。
#この場合…天照が女子を生み、引き続き、スサノヲが男子を生んだ時に、
#スサノヲは、勝ったと思う。また、天照も、少なくとも一瞬は、負けたと思う。
#しかし、そもそも天照は、スサノヲには「異心」が有ると疑っていたのであり、
#その疑いが強いあまり、材質のことを持ち出して子の所属を逆転するのだ。
#その意図は、「あなたの勝ちは、必ずしも認められない!」、ということだろう。