(……まず先に既稿をお読み下さい……)
本来の基準(つまり日本書紀に見られる基準)とは正反対の「女子→勝ち」という基準を、
古事記の作者筋が持っており、それが天照の詔別の文言に現れている。こういう見方を、
私は理解できない。できる人がいたら、説明して頂きたい。例えば、「因此言者」の部分は?
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「因此」(これによる)と訓むか、「因此言」(このことによる)と訓むか、
その点は後から考えるとして…どちらにせよ、当該箇所の「~者」は、
古文で言うところの【未然形+ば】に相当する。順接仮定条件である。
その訳し方は、「もし~ならば」と習うはず。実際に一般的な訓読文は、
「これによりてまをさば」であり、100パーセントが【未然形+ば】で訓む。
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当初から、古事記の作者筋において、それを反映する登場人物において、
「女子→勝ち」という基準が在って、この基準を、当然のように天照が言い、
この基準を、当然のようにスサノヲが反芻した。そういう話なら、スサノヲは、
「これによって、若し言うならば…」などと、仮定条件で表現する必要も無い。
一例。梅原猛氏は、「こういうわけで、あえて言わせてもらいますなら」と訳す。
この「あえて言わせてもらいますなら」は、当該のスサノヲの発言を、よく表す。
あえて言うのは、何か本来の話があるが、その話は横に置き、あえて言うのだ。
#梅原猛氏は、もちろん国文学者ではない。しかしながら、現代語訳を見る限り、
#忠実に訳そうとする姿勢が窺える。語学系ではない、文学系の古事記専門家。
#その現代語訳のほうが、意訳が甚だしい。問題あり!の現代語訳も、ちらほら。