崇神天皇10年(西暦247年)を基準にすると、垂仁天皇39年(西暦344年)は、
言わば、【MQDWNYA】(マケドニア、344)を記念する年であり、この年には、
以下の記事が載る。「川上部と謂ふ。亦の名は裸伴と曰ふ」云々という記事だ。
>三十九年の冬十月に、五十瓊敷命、茅渟の菟砥川上宮に居しまして、剣一千口を作る。因りて
>其の剣を名けて、川上部と謂ふ。亦の名は裸伴 《裸伴、此には阿箇播娜我等母と云ふ。》 と曰ふ。
>石上神宮に蔵む。是の後に、五十瓊敷命に命せて、石上神宮の神宝を主らしむ。(…以下細注略…)
(※日本書紀・垂仁天皇39年条)
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此処で思い出すべきは、古事記において、例えば「名阿比良比売」の箇所で
「名阿比良」を纏まりに見て【NHYRA】(光り輝く、388)と読ませる意図が有る。
そうした事例である。さらに履中紀の【SMK十】(狭名来田、650)の事例である。
時として、「名」の文字は、訓ではなく、音で読むことが、意図されているのであり、
さらにまた、【AWKMA】(オークマ、91)が「大角」(オホクマ)を表す例などに拠り、
外国語の長音表記に対し、ハ行の仮名を充てる方法が使われたことも想定される。
これらの点に鑑みれば、「名・阿箇播娜」(メィ・ァカーダ)という音形というものが、
いわゆる「マケドニア」を意味する【MQDWNYA】(344)の略称を指し示すことが、
分かる。垂仁天皇39年(西暦344年)に、そういう形で【MQDWNYA】(344)を示す。
此の意図は…【MQDWNYA】(344)という言葉を、動詞【QDY】(225)からの派生に、(※「保留する」の意!!)
見ているのである。且つ、何らかの意味合いで、「裸」(アカハダ)の「菟」(ウサギ)にも
見立てているのである。「ミカド」(帝)は、【MQDA】(名阿箇播娜、257)と見るのが良い。
#「川上部」は、【D・OL NHRA】(川上部、493)で、【SNWRA】(帽子、439)に通底する。
#もちろん、「ミカド」(帝)は、【MQD】(255)と見ても良い。【ΣBYOYA】(第七、525)を表し、
#【昴】(5月27日)に繋がる。ならば、結局は、【MQDA】(名阿箇播娜、257)に繋がるからだ。
#【MQDW】(262)と見ても良い…【YMM十A】(倭、622)に通底し、【虚】(2月26日)を表すが、
#その【YWRQA】(イルカ、529)は、魔方陣の「七」の色だからだ…【昴】=【W】=「七」に注意。