「伊須受能宮」の祭神について | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

古事記には難読箇所が目白押しだが、その一つが、いわゆる天孫降臨段の
「此二柱神者拝祭佐久久斯侶伊須受能宮」という箇所だ。少し古いテキストは、
「この二柱の神は、さくくしろ伊須受の宮に拝み祭る」に訓み、最近のテキストは、
「この二柱の神は、さくくしろ伊須受の宮を拝み祭りき」に訓む。ここで後者が通説。

  ・此二柱神者、拝祭佐久久斯侶伊須受能宮。
  ・妹豊鉏比売命、《拝祭伊勢大神之宮也。》
  ・於御諸山、拝祭意富美和之大神前。
  ・次倭比売命者、《拝祭伊勢大神宮也。》

古事記の「拝祭」の例を見ると、直後に置かれるのは、ヲ格の目的語であり、
「此二柱神」が何を指すにしても、「此二柱神」が「伊須受の宮」を拝み祭った、
と理解できる。神代の出来事であれば、「神」が祭主になることがあってもよい。
通説では、「此二柱神」は、「迩迩藝命」(=天神御子)と「思金神」を指すと理解。(※「天神」と「御子」は同格と見る)

*   *   *

しかし、当該箇所の「拝祭」を神代の出来事とする場合は、後段との接続が聊か悪い。
「次、登由宇気神、此者、坐外宮之度相神者也。……次、手力男神者、坐佐那那県也」、
とある部分は、古事記述作の時点の実勢を述べている。したがって、直前の「此二柱神者、
拝祭佐久久斯侶伊須受能宮」の部分も、古事記述作の時点の実勢という可能性が出てくる。
その場合は、旧説のように「~に拝み祭る」(古事記述作の時点の現在形)と訓む余地が残る。

#旧説を採る場合の問題は、「此二柱神」が何を指すかだ。「天照大御神」と「思金神」。
#そう理解されているが、前段の「詔」の主語が、若し「天照大御神・高木神」の二神なら、
#単純に「此二柱神」は「天照大御神・高木神」と見てよい。「此之鏡者、専為我御魂而」の、
#「我」は一人称であり、その意味で、主に「天照大御神」を指す点は明白だが、此の場合も、
#「天照大御神・高木神」が揃った状態で、具体的文言を「天照大御神」が発したと理解できる。
前項の通り、この「高木神」は、「三四五の直角三角形」の「四」を表し、【XDA】(一、16)を表し、
#それゆえ【DBA】(熊、10)に通じ、【GNBRA】(巨人、369)に通じ、【NWRA】(鏡、369)に通じる。
#「高木神」と「鏡」を結ぶ脈絡が存在する点に留意すべき…それにしても、「高木神」には謎が多い。