ディズニー映画語り ミッキーの街の哀話 | すきなものしか語れない

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元ディズニーシー長年単パサー。今はおもにディズニー映画中心に好きなものだけ勝手に語るつまらないブログです。Dヲタだった頃の記事は思い出として残してます。

はぁぃどぅも。



今回はミッキー・マウスの初期モノクロ短編作品語り回です。


実に120以上作品数を誇るミッキー・マウス短編シリーズの中でもわりと知名度低めの作品を中心にご紹介しているこちらのシリーズ記事。


ミッキー人気絶頂期時代とも言える1932年台。ウォルトが【ミッキーを生み出した功績】でアカデミー賞を受賞したり、超人気キャラクターであるグーフィーが登場したり、トピックの多いこの年の作品群の中から、今回はミッキーシリーズの中でも個人的に特に大好きなこちらの作品について語りたいと思います。


(※当ブログは基本ネタバレありです。ご了承下さい。)


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  ミッキーの街の哀話

(原題:Mickey's Good Deed)
1932年
監督
バート・ジレット

データ

ミッキー・マウス第50作目の短編劇場映画。


1932年に公開された14本目のミッキー作品です。


監督は1929年の「ミッキーの海山越えて」で初めて監督を担当して以来実に30以上ものミッキー作品を監督を務めたバート・ジレット

シリー・シンフォニーシリーズの「花と木」「三匹の子ぶた」等のアカデミー賞受賞作品を手掛けた事でも知られる人物です。



ミッキープルートがメインで登場。



これまでストーリーなど有って無いような作品がほとんどだったミッキーシリーズですが、この頃からウォルトは史上初の「長編アニメーション制作」に向けた構想を本格的に練り始めます。


それによってこれまでのようなミュージカル系、ドタバタ系一辺倒ではなく設定やストーリー性を重視した作品が少しずつ増えていく事になります。


今作はそのストーリー重視系作品の代表格と言える内容となっていて、当時直撃中だった【大恐慌】を題材とした世界観や細部の作り込み・細かな設定付け等、他の短編作品とは一風変わった異彩を放つ一本です。


タイトルのGood Deedとは【善行】の意味であり、大恐慌時代におけるミッキーとプルートの小さな善行をテーマとした物語


ミッキー・マウスの声優は引き続きウォルト・ディズニーが担当。


プルートは登場初期から長きに渡り彼の声を担当したピント・コルヴィグ



ミニーは登場しませんがミニー役のマーセリット・ガーナーは今作ではいくつかのモブキャラクターの声を担当しています。


他作品と比べても知名度はそれほど高くはありませんが、ミッキーの隠れた名作として実は長年高い評価と人気を獲続けている作品。


2005年前後にはソフト収録に際してカラー化も実施されました。


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あらすじ



ミッキーはチェロを使って大道芸人をしながら相棒のプルートと共に貧しくも楽しく暮らしていた。

とあるクリスマスの夜。

この日もミッキーは寒い道端でチェロの演奏を行い続けるが、まともな稼ぎにはならない。

そんな時、とある金持ちの家の執事が突然現れ「その犬を売ってくれ。」とミッキーに要求する。

その執事が務める金持ちの豪邸では我儘な豚の子供が父親の言うことを聞かず、たまたま窓から見たプルートを気に入り「あの犬が欲しい」と父親や執事に対して癇癪を起こしていた。

「大事な友達を売るわけにはいかない」と断り、しつこい執事から逃げるミッキーとプルートだったが、、その先でたまたまとあるボロボロの家屋を発見する。

中を除くとそこには父親を失い貧困に苦しみながらサンタの来訪を夢見て眠る沢山の子供達と、泣き崩れる母親の姿があった。

それを見たミッキーとプルートをある決意を胸に先程の豪邸の門を叩く…

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感想

短編カートゥーンでドラマを



アニメがただの子供用のおまけとして扱われていた時代。ウォルトはカートゥーンでも実写映画と同じようなドラマやストーリーを描いた、しっかりと「一本の映画」として世間に扱われるような長編映画を作りたいと、様々な計画や構想を進めていきます。

そんな姿勢を世間や周囲の人々は「どうせ失敗するに違いない」とそんな彼を嘲笑交じりに見ていました。

これが世に言う有名な「ディズニーの道楽」です。

そしてそんなディズニーにとって現在充分な認知度と人気を誇り立ち位置の確立している「ミッキー・マウスの短編シリーズ」はまさに格好の「実験の場」でした。

ストーリーもセリフも無いに等しかったギャグカートゥーンに明確な設定やストーリー・台詞による展開を付与しました。

簡素な背景とキャラの全身アップか引きの横一線という画一的な構図や魅せ方のみだったギャグカートゥーンに、まるで実写映画のような画角や表現、そして影や見切れている小物等必要ない部分にまでこだわり抜いた細かな背景描写を盛り込みました。

次第に、これまでただ笑うだけだったミッキーの短編作品を観て、中には涙を流す観客も現れ始めたと言います。

そしてそんな様子を見たウォルトは【「白雪姫」は成功する。】と確信したそうです。

「笑えればいいだけのカートゥーン」から「一本のアニメーション作品」へ。

この「ミッキーの街の哀話」は正にそんな試みの集大成の一つと言っていい作品です。

個人的には、ミッキーの短編作品の中で三本の指に入るくらい好きな作品です。

ストーリーやドラマ性の付与以上に個人的に大きいのは、単純にミッキーとプルートというキャラクターの表現の丁寧さ

二人が素晴らしく魅力的に描かれています。

そして作画が素晴らしいんです。

この時代とは思えないんですよね本当に。

今のディズニー映画の方針の、正に原点というか大元になっている作品だと思います。


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サムネイル

今作のハイライト



この作品は、例によって人種差別に近いと見られる表現が一部でなされている為、評価が高いにも関わらず現在は世に出ることはほとんどありません

何とも惜しい。。

なので今回はハイライトと言うか、ストーリーと見所を順を追って紹介していきたいと思います。


長くてスミマセンが…


まずは物語冒頭。

とあるクリスマス

路上で演奏をしてチップを集めて生活するミッキーとプルート。


気前よくチップをくれる通行人。


貧しいながらも陽気に懸命に生きる二人。


「今日は収穫だ!やったね!」


しかし…




そう。

世は大恐慌



厳しい時代です。

ここも背景描写凄いですね。


ご馳走を窓越しに楽しんで…


気を取り直して演奏の再開です。

なるべくお金持ちのお家の近くで。


プルートも自慢の歌声を披露。

端で跳ねているのは我が家(プルートの体)へ帰路を急ぐノミくん。


一方近くのお金持ちの豪邸では。


わがままな豚の子供が大暴れを繰り広げていました。


我が子のわがままに気が狂いそうな豚父。


そんな時、窓の外の二人に気付く豚ガキ。



またヒステリックなわがままを要求。


この顔。憎たらしいw

執事に金を握らせて犬を買いに行かせる豚父。



執事がミッキー達のもとへ。


執事も必死です。


逃げる二人。


いくらお金でも替えられないものがあります。


友達は売らないよ。


なんとか逃げ延びますが…

そんなパニックの中で、、


大事な商売道具のチェロが破損



…どこにでもある散々な日。




そんな時、あるボロボロの家屋の中から女性の泣き声が聞こえ中を覗く二人。

するとそこには、、、


机に突っ伏して泣きじゃくる女性。

ボロボロの上着と空っぽの財布…


描写が細かいです。


壁には刑務服の父親の写真…


ネズミが這い蜘蛛の巣が覆うスカスカの食器棚…


痩せ細りホネだけになった魚…

 

下げられた沢山の靴下とサンタへの手紙…


この辺の数カットだけでこの家の内情を伝える描写力と演出は本当に素晴らしいです。

とても1932年の短編カートゥーンの物とは思えません。

この作品で特に好きなシーンですね。




ツギハギのベットでサンタの夢を見る子供たち…




それを見て涙を拭うミッキー。

プルートとミッキーはある決心をします。



プルートを売りに豪邸に戻るミッキー。

自分じゃなく、あの家の子供達の為に。




別れのキスです。

プルートも全てを理解してます。

そこがポイントですね。




感情豊かなミッキーの表情も素晴らしい。





豪邸に買われたプルートは、、、



さっそく豚ガキの餌食に…


これで落ち着いた…

と胸を撫で下ろす父豚と執事。



プルートを売ったお金を注ぎ込んで沢山のプレゼントを買い込んだミッキー。

ボロ家に向かいます。

ちなみにこの風船のデザインが、この作品における人種差別的シーンとなります。




天使のように眠る沢山の子供達。



誰にもバレないようにプレゼントを仕込み家を出るミッキー。



プレゼントに気づいた子供達は、、




大喜びです。

本当に良かったね。




ひっそりと見届けるミッキー。


一方…


豚家のプルートは、、

まさに地獄絵図…



この顔…

憎たらしいw




痺れを切らした父豚がブチ切れて

プルートは放り出されてしまいます。



そしてお尻百叩きの刑にあう豚ガキ。

よしよし。



寒空に放り出されたプルートは…



七面鳥を引きずったまま何かの匂いをたどります…




そう…それはミッキー。


子供達の為にお金を使い果たしたミッキーは、プルートに見立てた雪だるまを前に独りで質素な夕食です。




それに気付いたプルート!

嬉しそう!




自分の雪だるまにごそごそと忍込み…





無事感動の再会です。




この嬉しそうな二人の表情




たまたまプルートが豪邸から引きずってきた七面鳥で、二人でハッピーな夕食です。





「クリスマスは自分じゃない誰かに優しくする日」

という概念がアメリカにはあります。

大恐慌下の苦しいクリスマス。

ミッキーとプルートは自分じゃない他人に、小さな善行を行いました。


2人の状況は何も変わりませんが、1つの家に小さな幸せをプレゼントし、そしてミッキーとプルートは一緒に笑顔で過ごすことができました。



ストーリーのテーマ、そしてミッキーとプルートの絆。細かな作画描写。


そして豚家族ミッキープルート「心の豊かさ」の対比


どれをとっても大好きですね。


7分の短編カートゥーンで、ここまで観ている人の心を掴めるものってなかなか無いと思います。

実際にこの作品の成功後、世間の風潮は「長編のアニメーション映画なんて成功するわけがない」から「ディズニーなら成功させるかもしれない」に少しずつ変化していったと言います。


そしてこの5年後、ディズニーは史上初の長編アニメーション映画「白雪姫」を大成功させるわけです。

その下地になった作品のうちの一つがこの「ミッキーの街の哀話」です。


短編カートゥーンの、そしてアニメーションの、新たな可能性を見出した、流れを変えた、そんな一本。



本当はもっと沢山の人に観て欲しい、ミッキーの傑作カートゥーンです。


こういう作品達ももっと現代でも視聴できる機会が増えるればいいのになぁ、、とつくづく思いますね。



はい。


というわけで。


長くなりましたが今回はこの辺で〜。


いつもこんな駄文にお付き合い頂き本当にありがとうございます。感謝です。



ではまた次回!



しーゆーねくすとたぁいむ。