はいどおも。
さて、今回も恒例のディズニーアニメーション映画史。時代は輝かしい黄金期・ディズニールネサンスと言われた1990年代を終えて【ディズニー第3の暗黒期】とも言われている2000年代の真っ只中です。
前作の「トレジャー・プラネット」はアラジンやリトル・マーメイドを生み出した黄金コンビ、ジョン・マスカー&ロン・クレメンツが手掛けた大作映画でしたが、多数の高評価を獲るものの収益面では大きく躓く結果に。
頼みの綱の黄金コンビが大敗を喫した事で、ディズニースタジオはいよいよ窮地に立たされます。
これまで検討されていたCG主流の映画制作への方針転換が急激に進み、いくつかのスタジオには閉鎖の波が。
90年代ルネサンスの下り坂期に「ムーラン」で世間の評価と収益を盛り返し、2000年代暗黒期の深淵にいたディズニーを「リロ・アンド・スティッチ」で救った、フロリダのスタジオもその波に呑まれた一つ。
そんなフロリダのアニメーションスタジオが閉鎖の直前に発表したのは、ディズニー伝統のアニマルムービーを進化させた正に最期を飾るに相応しい渾身の一本でした。
(※当ブログは基本ネタバレありです。ご了承下さい。)
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ブラザー・ベア
2003年
監督
アーロン・ブレイズ
ボブ・ウォーカー
データ
ウォルトディズニーアニメーションスタジオ44作目の長編アニメーション。
監督は美女と野獣、アラジン、ライオン・キング、ムーラン等の制作に携わってきたアーロン・ブレイズとボブ・ウォーカーの二人。
音楽はターザンで活躍したマーク・マンシーナとフィル・コリンズのコンビ。
フィル・コリンズは全挿入歌だけではなく今回はスコア(劇伴)制作にも積極的に携わっています。
1994年のライオン・キング大ヒットを受け、それに続くアニマル・ムービーを…という上層部の命によりスタートしたプロジェクトで、形を変えながら何度も試行錯誤を繰り返し制作された作品。
原作の無いオリジナルストーリーですが、ネイティブアメリカンより伝わる幾つかの伝説からインスパイアされた物語である事がインタビュー等で明言されています。
「立派な男になりたい」と望むイヌイットの若者キナイを主役とし、家族愛・罪・精霊等を主題としたネイチャーアドベンチャーであり、成長物語です。
主人公キナイをスター俳優ホアキン・フェニックスが演じています。日本語版は東山紀之さん。
深みがありながらディズニーの伝統をしっかり引き継いだ秀作としての高い評価と、さらに前作トレジャー・プラネットの倍以上の興行収入を獲得しますがそれでも大ヒットには届かず。
ディズニーのフルCGへの軌道修正は止まらないまま公開の翌年、このフロリダのアニメーションスタジオは閉鎖となってしまいました。
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あらすじ
遥か昔。
この世は魔法で出来ていると教えられていた。
狩猟民族イヌイットはこの世の全ての出来事は自然を司る精霊グレイト・スピリットの力によるものだと信じ、暮らしていた。
そんなイヌイットの三兄弟の末っ子・キナイは成人の儀式で【人生の道標となるトーテム】を村のシャーマンのタナナから受け取る。
それはグレイト・スピリットからのメッセージ。
キナイのトーテムは【愛】の象徴である熊のトーテムだった。立派な強い男になりたいと望むキナイはそのトーテムが気に入らずない。
そんな時事件は起こる。
キナイのミスで熊に魚を奪われた事に端を発し、次男デナヒに責められ激昂したキナイは単身熊を追い、逆に襲われてしまう。
その中で、長男シトゥカは弟二人を守るため自らを犠牲にして命を落としてしまった。
熊への怒りと復讐にかられたキナイは再び熊を追い、そして仕留める。
しかしその直後、突如空は光に包まれ眼前には死んだ筈の兄シトゥカの姿が現れる。シトゥカが悲しい表情でキナイを見つめると、キナイの体は光に覆われ、その姿は熊に変わってしまった。
パニックに陥りながらもシャーマン・タナナの導きもあり、グレイト・スピリットに会えるという【光が大地に触れる場所】を目指し出発したキナイは、とある子熊に出会う。
そしてその出会いは、キナイの運命を大きく変えることになるのであった…
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感想
個人的にとても好きな作品です。
全ディズニー映画の中でもトップ10には間違いなく入りますね。
ライオン・キング、ポカホンタス、ラマになった王様、を混ぜ合わせたようなプロットなのですが、伝えたいテーマや物語の核が非常に明確で最初から最後まで芯の通った作りになっていて、そこにディズニーらしいキャラクター要素やファンタジー性、コメディがうまく溶け合っています。
厚みのあるストーリーながらしっかりディズニーもしているとても良い映画です。
実は扱っているテーマは誰にでも入りやすい普遍的な物なんですが、魅せ方に様々な工夫が凝らされてるんですよね。
難点はやはり全てにおいて地味なこと。
ミュージカルも無ければロマンスも無い、ヴィランさえ居ない、アクションも地味で、世界を揺るがすような壮大さもない、、
遠い昔のとある小さな村の小さな家族の小さな物語です。
一般的に見たら間違いなく難点ではあると思いますが、個人的にはそこがこの映画の一番の良いところでもあるんですけどね…。
というこで詳しくは↓以外↓で〜。
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魅せたい物への徹底的なこだわり
この映画の最大の特徴はこれだと思います。
前作のトレジャー・プラネットの記事でも【魅せたい物に振り過ぎだ】という話をしたのですが、あの作品はその魅せたい物以外にも魅力的な要素を沢山用意してたのに、それをうまく活用出来ていなかったんですよね。
この作品がそれと決定的に違うのは【そもそも魅せたい物とそれに必要な物以外を排除する】という引き算の作り方をしているということ。
【キナイという若者が熊になる事でどのように人として成長するのか】を魅せる為にはヴィランすら要らない、、という振り切った作り方をしてるんですよね。
この映画は登場人物がホントに少なくて、物語を動かす主要人物は主役の三兄弟+子熊コーダの四人くらいです。他にも登場人物は居ますが必要最小限の出番に留めているんです。
印象的なヘラジカ兄弟も一見よくいるコメディリリーフのサブキャラかと思うかもしれませんが、実は物語に必要な3場面にしか出てきてないんです。
1つは熊になったキナイの現状把握、2つめはハンターが追って来ている事と、足跡で追跡される事をキナイに知らせる役目、最後はコーダに兄弟の絆を見せて喧嘩したキナイの所に向かわせる役目です。
キャラとして魅力的なのでそう感じないかもしれませんけど、必要最小限なんです。
サーモン・ランで出会う熊達とかも、絶対もっと使いたくなると思うんですよ。クライマックスとかに。皆キャラが良いし。
でもしない。
だってあのフィル・コリンズを音楽に起用しておきながら相当数の書き下ろし曲をバッサリ全カットしたらしいので、凄まじい徹底ぶりですよね。
その代わり、魅せたい物をより良く魅せる為へのこだわりは半端ないんです。
例えば視野。
この映画はキナイが熊に変わるまでの前半は敢えて狭い画面比(ビスタビジョン)で展開されます。劇場でもDVDでも配信でもです。
これは「人間のキナイは視野が狭いから」。
そして熊に変えられ目覚めるシーンから広い画面比(シネマスコープ)に切り変わります。
これは物理的にも精神的にも「視野が広がった」という事を伝える為の表現です。
実は画面比だけではなく、色の使い方等も変わっています。熊になった後の方がより色彩豊かな色を沢山使用し、使用する色数も増やして「世界が明るくなった」事を表現しているんです。
キナイの【視野の変化】を魅せるためだけにここまでしてます。半端ないこだわりです。
そしてそれが凄く功を奏していて、キナイの成長や心の動きが観てる方に手に取るように伝わってくる素晴らしい完成度になっています。
そして、兄弟の敵を打つため自分を投げ売って必死に熊を追う兄のデナヒ。
母がいない寂しさや不安と戦いながら明るく振る舞い、最後は母を殺したキナイを許すコーダ。
主要人物の葛藤や心情変化がしっかりと描かれ、まるでロードムービーを観ているような、ドキュメンタリーを観ているような、そんな感覚にすらなります。
そこにポカホンタス等でも描こうとしていた「立場によって物の見え方は変わる」というテーマも絡まり、ドラマとしてとても見応えのある内容になっています。
このドラマに対しての演出の繊細さと丁寧さがこの映画の最大の魅力ですね。
それとコメディや動物描写等しっかりとディズニーとして抑えるべきところは抑えてるのもポイント高いです。
特に本筋がなかなか重たいストーリーなので、大人向けになってしまいそうな所をうまく定番ギャグやコメディを入れて緩和しています。
何よりエンドロールのギャグシーンと、エンドロール後、最後の最後のメタギャグは良かったですね。
映像力に関しては素敵なシーンも沢山ありますが、トレジャー・プラネットや同じ自然をテーマにしたターザンには及んでいません。
ミュージカルもなく、物語は一直線でおかずや遊びが沢山あるわけでもないので退屈に感じてしまう人も多いとは思います。
アクションシーンやクライマックスもちょっと地味なんですよね。
特にクライマックスへの展開はもう少しエンタメとしての工夫があったらもっと良かったですかね。
やはりこの演出的な部分はフィル・コリンズの楽曲にかなり助けられている所があると思います。