はぃどぅもぉ。
さて、今回はディズニーアニメーション映画史。時代はついに1990年代、ディズニーアニメーションスタジオの第二黄金期【ディズニー・ルネサンス】と言われている時代の幕開けです。
圧倒的リーダーであったウォルトとその兄ロイの他界、新世代クリエイターと旧世代クリエイターによる対立、上層部から強いられる低予算ドル箱路線、ベテラン達の引退等を経て続いていたディズニーの低迷は1986年の「コルドロン」での収益面・評価面の大きな失敗で決定的となります。
クリエイター達の士気は急激に低下。
スタジオは存続の危機に立たされました。
「オリビアちゃんの大冒険」や「オリバー ニューヨーク子猫ものがたり」のドル箱ヒットで危機的状況をなんとか乗り切ったディズニーは、そんな状況を打破するために新たな首脳陣による本格的な新体制への改革を実施。
そして起死回生の一本「リトル・マーメイド」がついに公開されディズニーはその財政と世間の評価・信頼を大きく回復させる事に成功します。
その後「ビアンカの大冒険」の続編を挟み、その翌年に公開されたのが、リトル・マーメイドに次ぐヒット作を狙った渾身の一本。
この作品をもって、ディズニーはついにアニメーション界未踏の地へ足を踏み入れることになったのでした…。
(※当ブログは基本ネタバレありです。ご了承下さい。)
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美女と野獣
(原題:Beauty and the Beast)
1991年
監督
ゲーリー・トゥルースデイル
カーク・ワイズ
データ
ウォルトディズニーアニメーションスタジオ30 作目の長編アニメーション。
原作はフランスの民話、そしてジャンヌ=マリー・ルプランス・ド・ボーモンによる同名小説です。
元々はウォルトが存命中に何度も映画化を検討しながらも実現に至らなかった作品の一つでした。
1980年代後半にイギリスのロンドンにて「ロジャー・ラビット」のスタッフを中心に制作が始められましたが「リトル・マーメイド」の再来を狙ったミュージカル映画を構想した当時のスタジオのリーダージェフリー・カッツェンバーグの判断によって1年近くかけた初期制作は白紙に戻されます。
リトル・マーメイド監督コンビであるジョン・マスカーとロン・クレメンツには「マーメイドで全てを出し切った」と断られますが、同作最高の功労者であるミュージッククリエイターアラン・メンケンとハワード・アッシュマンのコンビを筆頭に名前ではなく実力を重視した精鋭達が招集されました。
監督はまだ当時ほぼ無名の新人だったゲーリー・トゥルースデイルとカーク・ワイズ。
後に「ノートルダムの鐘」等の名作を生み出すことになる2人です。
脚本は同じく当時無名だったリンダ・ウールバートン。彼女も後に「ライオン・キング」「マレフィセント」「アリス・イン・ワンダーランド」等の様々な名作を生み出すことになります。
ストーリー担当として70年以上のディズニーキャリアを誇り2023年に亡くなったレジェンドバーニー・マティンソン、「リロ・アンド・スティッチ」の生みの親クリス・サンダース、「ライオン・キング」の監督でも有名なロジャー・アラーズ、「モンスターズ・インク」「カーズ」のピクサーの仕事で知られるジョー・ランフトなどなど錚々たる顔ぶれが集結しました。
音楽は前述の通りアラン・メンケンとハワード・アッシュマン。最早説明不要のディズニーが誇る伝説のコンビです。
ハワードは今作の完成を待たずに他界してしまいましたがその作品への多大なる貢献に敬意を評し制作総指揮としてもクレジットされました。
現在でもこの「美女と野獣」の制作スタッフはアニメーション史に残る奇跡のメンツと言われている程、今考えると非常に豪華な布陣となっています。
本作の主人公ベル役を演じたのはブロードウェイ女優であるペイジ・オハラ。ハワード・アッシュマンの推薦もあり、500人を越える候補者の中から見事に役を射止めました。その後も30年以上に渡りベルを演じ続けています。
日本語版は伊東恵里さん。
野獣役にはテレビや映画で活躍する俳優であり監督業やミュージシャン等マルチに活躍するロビー・ベンソン。日本語版は山寺宏一さん。
今作のヴィランズであるガストンをオペラを得意とする舞台出身の俳優リチャード・ホワイト。日本語版は松本宰二さん。
ポット夫人役に2022年96歳で他界されたアカデミー名誉賞を持つレジェンド女優のアンジェラ・ランズベリー。ディズニー作品では主演した「ベッドかざりとほうき」でも有名です。日本語版は福田公子さん。歌はポプラさん。
コグスワース役にデビッド・オグデン・ティアーズ。「ノートルダムの鐘」「ポカホンタス」「リロ・アンド・スティッチ」シリーズのジャンバ等多数のディズニー作品に出演するベテランです。
今作では冒頭のナレーター役も務めました。
日本語版は熊倉一雄さん。
他にもジェシー・コルティやジョー・アン・ウォーリー等全体的にミュージカル畑のキャストが多数参加しているのが特徴的です。
予算は然程の高額ではなく、全面的な作り直しが実施された事で期限も2年以下、さらに支柱であったハワード・アッシュマンの他界等決して順風満帆な制作状況ではなかった作品でありながら、興行収入面ではその大ヒットでスタジオを救った「リトル・マーメイド」を遥かに越える記録的な特大ヒットを記録。
数々の賞を獲得し、アカデミー賞では作曲賞と歌曲賞を2部門受賞。
さらにアニメーションでは史上初の「作品賞」ノミネートという歴史的な大偉業を成し遂げました。
ウォルトが目指していた「アニメーションが実写映画と肩を並べる」時代が今作によってついに訪れたのです。
評価面においても一般評価・批判家レビュー共に圧倒的な高評価を獲得し、ストーリー、演出、アニメーション、音楽…その全てが世界的な大絶賛を受ける事となります。
数々の続編やスピンオフ、実写化、ミュージカル化作品が制作され、さらにはグッズ化、パーク進出等…その勢いはとどまることを知らず、、
あっという間にディズニーを代表する作品にまで駆け上がりました。
公開から30年以上が経過した現在でも…
【ディズニー史上最高のアニメーション映画】
…という声は多方面から上がり続けており、その絶対的な評価は揺らぐことはなく、今作のストーリーやキャラクター・音楽達は世界中で時代を超えて沢山の人達から大いに愛され続けています。
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あらすじ
そこでは我儘な王子が家来達と共に暮らしていた。
ある日、城に1人の老婆がやってきて「一輪のバラを宿代代わりとして一晩泊めてほしい…」と嘆願する。
王子は「見かけで判断すると真実が見えなくなる…」という老婆の忠告には耳を貸さず、彼女のみすぼらしさを嘲笑い城から追い返そうとした。
その時。
老婆の姿は美しい魔女にかわり、城全体に協力な魔法をかける。王子は醜い野獣に、家来達は城の家財へその姿を変えられてしまったのだ。
魔女は一輪のバラの花を城に残し…
そのバラの花びらが全部散るまでに、王子が人を愛し人に愛されることを学ばなければ王子たちにかけられた魔法が解けることはない。
と告げて消え去った。
王子は己の醜い姿を恥じて城に閉じこもり、魔法が解かれる兆しの無いまま、十年の歳月が流れた…。
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感想
世代、国、ジャンル、好み、世相…そういうあらゆる物を超越した…まさにディズニー映画史上最高傑作。
あえて断言させて頂くと…
色々な意味であらゆる面から総合して…
この作品がディズニーアニメーション映画の頂点にしてピークだと自分は思っています。
今日に至るまでの全ての同スタジオ作品の中でです。
娯楽映画として…
ディズニー映画として…
ストーリー映画として…
ファミリー映画として…
ファンタジー映画として…
ロマンス映画として…
アニメーション映画として…
ミュージカル映画として…
その全ての要素が一つも欠けることなく物凄く高い次元で最高のバランスでまとまり作用しあった、まさにアニメーションエンターテイメントの完成形。
この映画を観てもしも良いと思う部分が一つもないという人が居たら、その人はもうほぼ確実にディズニー映画とは縁がなかった人であると、、そんな事を思ってしまう程です。
勿論それを否定しているわけではありません。
ただそれくらいディズニー映画としての魅力と映画としての魅力を完璧に混在させた一本だと思うんですよね。
白雪姫からはじまったディズニーアニメーションの映画への長い長い挑戦、そのある種のゴールがこの作品だったと思っています。
「アニメーション映画」を実写映画と肩を並べる一つの映画ジャンルとして確立させること。
子供も大人も楽しめる老若男女全ての人達に向けた一大エンターテインメントとして世に定着させること。
そしてそれをディズニーの精神がこもった作品で成し遂げること。
その全てを初めて達成した作品。
それがこの「美女と野獣」でした。
世間の反応、そして歴史上初のアニメーション映画によるアカデミー最優秀作品賞ノミネートという快挙がそれを証明しています。
こういう作品はあまりぐだぐだ語るのも野暮なので、今回は個人的な見所とバックボーンをちょっとだけ語りたいと思います。
見所といっても、もう全てが見所なのですが。
作画、音楽、キャラクター、ストーリー、演出、全てがディズニーの総力を結集させたようなハイクオリティ作品である事は間違いないです。
「作画と演出」
もうね…
もちろんストーリープロットも原作とオリジナルを良い塩梅に、無駄なく人を惹き付けるよう丁寧に練られているし、「リトル・マーメイド」で完成したスタンダードパターンをそのままグレードアップさせたような各キャラクターの圧倒的な個性と魅力とかも半端なくてですね……この辺もホントはメッチャ語りたいんですけどw
あえて挙げるならばこの映画はまず「作画と演出」。
作画と演出の勝利だと思います。
前述通り、この映画は監督含めアニメーター達に関してもこれまでの実績やネーミングよりも実力を重んじて集められたメンバーで制作されました。
なのでディズニーでのこの時点での実績はほとんど皆無な顔ぶれが多数となったわけです。
しかし、この「美女と野獣」を手掛けたクリエイター達はのちにそれぞれ「アラジン」「ライオン・キング」「ターザン」さらには「トイ・ストーリー」「リロ&スティッチ」「魔法にかけられて」「塔の上のラプンツェル」他社作品では「シュレック」「ヒックとドラゴン」等実に錚々たる作品達を世に送り出すことになります。
そして後で書きますが何より今はなきハワード・アッシュマンの存在。このメンバーが一堂に会したこの「美女と野獣」はまさに一回こっきりの奇跡だったと言えますね。
そしてそんなメンバー達が過去のディズニー作品を徹底的に研究し全力で仕上げたその作画とアニメーション。
まさに圧巻の出来です。
バンビ等を研究して描かれた背景画は、非常にきめ細かく繊細ながらアートチックになり過ぎない至高の完成度。
往年のプリンセス、白雪姫やシンデレラ等を参考にしながらデザインされたベルの、全ての感情を表情のみで表現できる程の豊かさと柔らかさ。
過去のディズニー動物映画と同じようにアニメーターが動物園に通い詰め実際の熊やバイソン、ゴリラ等を分析しながら生み出された野獣のそのリアルな躍動…
そして忘れてならないのはルミエールら家財達のデザインと動作描写。
時計や燭台、ポット、小物としてのリアルさを残し活かしながらも人間のように活き活きと話し歌い歩き踊る、ディズニーの十八番である擬人化。
その緻密さはもうこれは…お見事としか言いようがありません。
そして前作からディズニー作品に参入したピクサーによるCG技術も今作では非常に大きな役割を果たしてくれています。
特に有名なこのダンスホールのシーンは今観ても圧倒的です。
比較的ディズニー歴の浅い者達が、これまでのディズニーの集大成を作り上げたのです。
正直作画・アニメーションにおいては個人的にはこの映画が全てのディズニー作品の中でナンバーワンじゃないかとすら思います。
過去のピノキオやファンタジアももちろん物凄いですが、あれはやはり古典としての素晴らしさもあるので。
この美女と野獣は現代アニメーション映画として、間違いなく最高峰の作画とアニメーションなんです。
ファンタジーだけど、リアルさに拘る。
これはウォルトがずっと言ってきたことでした。
人間の表情、動物の動作、物の質感や動作原理、それらが現実感をもって描写されていなければ良質なファンタジーは作れないと。
まさにその言葉通りの見事な仕事です。
この「作画での芝居」の上質さが、大人の観客をも引き込むアニメ映画となった要因の大きな一つだと思います。
全弾ヒットの巧妙な演出
そしてここからは演出の話。
これに関してはやはり製作総指揮としてクレジットされている作詞家…ハワード・アッシュマンの尽力が非常に大きいと思います。
「リトル・マーメイド」の記事でも触れましたが、彼はこの作品の完成と大成功を見届けることなくエイズによって40歳の若さで亡くなっています。
作曲家アラン・メンケンと共に音楽を担当しましたが、若手のスタッフ達からあらゆることで頼られ次第にハワードは制作全体を総括するような存在となりました。
しかしそんな中病状は末期の状態に。。
ギリギリまでそれを隠し現場に来ていたハワードはついにベッドから出られなくなってしまいます。
それでも、スタッフ達はハワードの自宅や病院に足を運び彼の意見を汲み入れながら制作を続けたと言います。
完成を待たずして他界した彼ですがクレジットの「製作総指揮」には、スタッフ達からの大きな感謝と敬意の念を感じずにはいられません。
冒頭のエピローグの後のっけからミュージカルシーン「Belle」という曲で始まるこの映画。
ハワードが特にこだわった曲です。
たくみな言葉遊びリズム遊びで観客を楽しませながら、ベルというキャラクター像を街の人々、ガストン、そしてベル本人の視点からしっかりと印象付け、さらにガストンのキャラと心情、ベルの夢や願い・行動原理の説明、そして今後の展開へのフック、その全てを冒頭の5分ほどの一曲で全てやってのけます。
もう素晴らしいとしか言いようがありません。
この一曲だけで、この映画は間違いなく名作だと確信した人も多いんじゃないでしょうか。
アラン・メンケンによるメロディの力も半端ないです。
そしてもう一つのハワードの大きな拘りは「Something there」という曲。
これは厳密にはミュージカルシーンではなく、少しずつ距離を縮める野獣とベルの様子を描きながら、ベルと野獣双方が変わっていく心情を心の中で歌っているというシチュエーションの曲。
ここも本当に見事。
ぎこちない二人が少しずつ打ち解けていく様子を短いたった一曲の中で十分すぎる程に表現しています。
これは普通の映画ならただのダイジェストか時間飛ばしで済ませるところを、曲にしてさらに本人達に心の中の掛け合いとして歌わせているんですよね。
2人の距離が縮まる、映画の中でも特に大切なシーンです。
この演出でそれを完璧に違和感なくそして印象的に観客に伝え、いっきにこの二人に愛着を持ち、応援したくなるように仕向ける、このハワードの手腕。ホントに凄いです。
この美女と野獣の「Something there」以降、この手法は実写アニメ問わず様々な映画でさかんに用いられるようになりました。
そしてかの有名な「Be Our Gues」。
このシーンで楽しい気持ちにならない人って居るんですかね?
大人も子供もワクワクする渾身のエンターテイメントな一曲です。
余談ですが東京ディズニーシーでは昔、このシーンをモチーフとした「テーブル・イズ・ウェイティング」というショーも公演されていましたね。
そしてメインテーマの「Beauty and the Beast」。
有無を言わせず名シーンなわけですが、これ、普通に二人が踊るBGMとして流しても良いところをわざわざ隅でポット夫人に歌わせてるんですよねぇ。
この辺の小粋な組み立てほんと凄い。
でクライマックスの「The Mob Song」。
この時のハラハラ感って、ちょっとディズニー映画随一だと思うんですよ。
大人も子供もハラハラする。
ガストンってヴィランは、アースラとかジャファーに比べる基本普通の人間で別に魔法とかが使えるわけでもないのに、、他のヴィランの遥かに上を行く怖さなんですよねこのシーン。
何より街の人々を口車で引き込み徒党を組んで城に乗り込んでいくというこの怒涛のシークエンス。
これがすごいうまいしめっちゃこわい。
街の人々が皆敵っていう恐ろしさ。
そしてこのこの曲と歌詞運びが作り出す緊迫感。
「これやべぇ」て大人も思わず思っちゃいますよね。
この群衆の怖さと言うのは同じ監督が手掛けた「ノートルダムの鐘」にも引き継がれる要素でもあります。
まぁこんな感じで。
「朝の風景」「ひとりぼっちの晩餐会」「強いぞガストン」あたりでしっかり子供も楽しいミュージカルエンタメとして成立させ、一方で「愛の芽生え」「美女と野獣」「夜襲の歌」あたりでガッツリ大人達の心も掴んでくるという、、。
演出構成がおそろしく良く出来た映画です本当に。
そしてその最大の功労者は、しつこいですが間違いなく「ハワード・アッシュマン」でした。
本当に素直に…
この人とアラン・メンケンのコンビがつくる歌とディズニーのミュージカルアニメーションをもっともっと観たかったです。
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まとめ
まぁ…結局ぐだぐだと語りまくってしまいました…スミマセンw
最後に一つだけ!
この映画はこれまでのディズニープリンセスストーリーにはなかった「外見ではなく内面に恋をする」お話。
まぁ題材が美女と野獣なので当然と言えば当然ですが、これまでのプリンセスストーリーは全てが基本一目惚れでお話が進んでいっていたのに対し、ディズニーアニメーションがほぼはじめて「恋する過程」を描いた作品でもあります。
あらゆる意味で現代ディズニー作品の大きなスタンダード、雛形を作ったのがまさにこの映画であったと言えますよね。
…はい!
今度こそあとはもう、ホントに何も言いません!
白雪姫からウォルトが始めたアニメーションの限界への長い長い挑戦。
そのひとまずの答えがここにあります。
あくまでアニメーションは子供のもの。
しかし、決して子供だけのものではない。
それを名実ともに証明した歴史的作品。
もちろん好き嫌いはあります。
ハマまらない人もそれはいるでしょう。
ただ、そういうのを全て超越して、これが間違いなくディズニーアニメーションスタジオの一つの決して変わることのない「ピーク」であったと、それは揺るぎないと、自分は強く思っています。
はい、長々と失礼しました!
いつも長文駄文にお付き合い頂き本当にありがとうございます。感謝です!
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