Wikipediaより
門を守給ふは
かどをまもりたまふは
豊磐間戸命
櫛磐間戸命
とよいはまどのみこと
くしいはまどのみこと
『古事記』の天孫降臨の段に登場する。
邇邇芸命が天降る際、
三種の神器に
常世思金神・天手力男神・天石門別神を
添えたと記され、
同段で
天石戸別神は
又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、
豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、
御門の神であると記されている。
天孫降臨の段に登場する神の多くは
その前の岩戸隠れの段にも登場している
天石門別神は
古来より
天皇の宮殿の四方の門に
祀られていた神である。
神祇官の西院では
御門巫祭神として祀られて
式内社とされていた。
天太玉神の子ともいう。
罪祟を
祈祓給ふは
つみたたりを
はらひたまふは
神直日神
大直日神
かんなおびのかみ
おおなおびのかみ
神道の神である
穢れを払い、禍(まが)を直す神
とする説がある
『古事記』では
八十禍津日神・大禍津日神が
成った後に
神直毘神(かみなほびのかみ)、
大直毘神(おほなほびのかみ)と
伊豆能売の三柱が成ったとしている。
病を療し給ふは
やまいをいやしたまふは
大巳貴命
少彦名成
おおあなむちのみこと
すくなひこなのみこと
●大巳貴命
国津神の代表的な神で、
国津神の主宰神とされる。
出雲大社・大神神社の祭神
「オオナ」は
「スクナ」(少兄、宿禰)に対する
「大兄」と解釈している
「ムチ」は
「貴い神」を表す尊称
●少彦名成
『古事記』では
神産巣日神(かみむすびのかみ)の子とされ、
『日本書紀』では
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされ、
系図史料には
天湯河桁命の子とされる。
『古事記』によれば、
スクナビコナは、
大国主の国造りに際し、
天乃羅摩船
(アメノカガミノフネ=ガガイモの実とされる)
に乗り、
鵝(ヒムシ=ガとされる)の
皮の着物を着て
波の彼方より来訪し、
神産巣日神の命によって
義兄弟の関係となって
国造りに参加した。
『日本書紀』にも
これと同様の記述があるが、
ミソサザイの皮の着物を着ている。
『先代旧事本紀』では
鳥取氏の祖神とされている他、
三島県主の祖神ともされる。
国造りの協力神、
常世の神、医薬・温泉・
禁厭(まじない)・
穀物・知識・酒造・石の神など
武勇を守給ふは
ぶゆうをまもりたまふは
經津主命
武甕槌命
ふつぬしのみこと
たけみかつちのみこと
●経津主命
神名の「フツ」は
刀剣で物が断ち切られる様を表し、
刀剣の威力を神格化した神
とする説のほか、
「フツ」は
「フツフツ」と沸き上がり
「フルイ起す」フツであるとする説や。
神武東征で
武甕槌神が
神武天皇に与えた
布都御魂(ふつのみたま)の剣を
神格化したとする説、
物部氏の祭神であり、
同族他氏の系図にも
「フツ」が頻出することから
物部氏の祖神である
天目一箇神の別名
とする説などがある。
なお、『先代旧事本紀』では
経津主神の神魂の刀が
布都御魂であるとしている
●武甕槌命
雷神、かつ剣の神とされる。
後述するように
建御名方神と並んで
相撲の元祖ともされる神である。
また鯰絵では、
要石に住まう日本に
地震を引き起こす大鯰を
御するはずの存在
元々は
常陸の多氏(おおうじ)が
信仰していた
鹿島の土着神(国津神)で、
海上交通の神として
信仰されていたとする説がある
もともと「大忌」つまり神事のうえで
上位であるはずの
多氏の祭神であったのだが、
もとは「小忌」であった
中臣氏にとってかわられ、
氏神ごと乗っ取られてしまったのだという
名義は
甕速日神と共に産まれてきたことから、
名義は「甕(ミカ)」、「津(ヅ)」、「霊(チ)」、
つまり「カメの神霊」とする説、
「建」は「勇猛な」、「御」は「神秘的な」、
「雷」は「厳つ霊(雷)」の意で、
名義は「勇猛な、神秘的な雷の男」とする説がある。
また雷神説に賛同しつつも、
「甕」から
卜占の神の性格を持つとする説がある。
智慧を守給ふは
思兼命
ちえをまもりたまふは
おもひかねのみこと
高御産巣日神の子であり、
天忍穂耳命の妻である
万幡豊秋津師比売命の兄。
最も有名な話では、
岩戸隠れの際に、
天の安原に集まった八百万の神に
天照大御神を岩戸の外に出すための
知恵を授けたこととされている。
国譲りでは、
葦原中国に派遣する神の
選定を行っている。
その後、
天孫降臨で邇邇芸命に随伴した。
(八意)思金神の「八」を「多い」、
「意」を「思慮」と解し、
「八意」は思金神への修飾語、
「思」を「思慮」、「金」を「兼ね」と解し、
名義は
「多くの思慮を兼ね備えていること」
と考えられる
器物を作始給ふは
石凝姥命
うつはものを
つくりはじめたまふは
いしこりとめのみこと
作鏡連
(かがみづくりのむらじ)らの
祖神、
天糠戸(あめのぬかど)の子
とされている。
『古事記』では
伊斯許理度売命、
『日本書紀』では
石凝姥命
または石凝戸邊命(いしこりとべ)と
表記されている。
岩戸隠れの際に
八咫鏡を作った。
ちなみに
日前神宮・國懸神宮(和歌山市)には
八咫鏡に先立って鋳造された鏡である
日像鏡・日矛鏡
(ひがたのかがみ・
ひぼこのかがみ)がある。
日像鏡は
日前神宮の神体、
日矛鏡は
國懸神宮の神体となっている。
神名の名義について、
「コリ」を凝固、
「ド」を呪的な行為につける接尾語、
「メ」を女性と解して、
「石を切って鋳型を作り
溶鉄を流し固まらせて
鏡を鋳造する老女」
の意と見る説や、
一族に「刀」や
「凝、己利」(コリ、金属塊の意)の
文字をもつことから、
鍛冶部族としての性格を
表していると見る説もある
如比 諸の神等
かくのごとく
もろもろのかみたち
萬物を
主宰玉ひて
よろづのものを
つかさどりたまひて
蒼人草を
養育し給ふと
あおひとくさを
よういくしたまふと
恐美恐美
申す
かしこみかしこみ
もおす
神代
遺れる風儀
妙にして
かみよの
のこれるならい
たえにして
𦾔の義理を
云者也
ふるのぎりを
いふものなり
凡一國に
總社として
およそいっこくに
そうしゃとして
主宰 守玉ふ
大神
つかさどり まもりたまふ
おおがみ
宮中の
神を始め
きゃうちゅうの
かみをはじめ
諸國に
宇志波伎座す
神等
もろもろのくにに
うしはきます
かみたち
彌集ひに集ひ
いやつどひにつどひ
彌諮りに諮りに
玉ひて
いやはかりにはかり
たまひて
天下の 公民を
あめのしたの
おおみたからを
夜の守り
日の守に守
よのまもり
ひのまもりにまもり
恵み
幸へ玉へと
めぐみ
さいわへたまへと
恐美惶美も
拝み 奉る
かしこみかしこみも
おがみ たてまつる