今日も少し(いや大いにかな?)感動したお話です。
あるサイトに書かれた記事ですが、シェアさせて頂くと報告しましたのでこちらに転載させていただきますね。
(以下、サイトより引用)
みなさんの記憶にもまだ新しい事件だと思いますが、
山陰の大動脈である国道9号線で、
昨年の大晦日の午後3時40分頃、
大型タンクローリーが雪道でスリップして
立ち往生しました。
一車線の国道は、たちまち渋滞になり、
長い長い車の列ができました。
およそ1000台の車が25キロも繋がって
まったく動くことができなくなったのです。
ところが、国道沿いに住む人たちは、
そのことを全く知らず、
テレビで紅白歌合戦を見ていました。
昼間は積雪がゼロ。
それが年が変わる頃には、
なんと90センチになっていました。
近隣に住む看板工房を営む祇園和康さん(79)が
朝起きてストーブを付けようとしたところ、
トントントンと入口を叩く音がしました。
50歳くらいの女性が真っ青な顔をして立っていました。
「トイレを貸してください」
その女性は、50メートルも歩いて、
灯りが点った家を見つけて駆け込んだというのです。
看板屋である祇園さんは、早速得意の看板を作って、
国道脇と自宅に立て掛けました。
「トイレ→」
自宅のトイレを開放してあげたのです。
それが、すぐに近隣の住民に伝染しました。
正月のおせちを配る人、
赤ちゃん連れのお母さんに、
ミルク用のお湯とともに毛布を貸してあげる人。
地元の有名なお菓子屋さん「やまもとおたふく堂」さんでは、
元旦にお客様に販売する予定だった「ふろしきまんじゅう」を
車の中で過ごす人たちに無料で配ったそうです。
公民館では、近所の女性たちが集まり、
ご飯の炊き出しをして「おにぎり」を作りました。
疲れをとるため、ちょっと塩味をきかせて。
さらに・・・
国道で渋滞に遭った車の中には、
コンビニチェーン「ポプラ」の配送トラックもいました。
そのドライバーは、携帯で会社の上司へ連絡して
許可をもらって、コンビニ各店へ配送するはずだった
「おにぎり」やお弁当を
立ち往生して困っている人たちに無料で配りました。
この背景には、事故の起きた琴浦という町の
土地柄があったといいます。
昔から日本海で難破した船があると、
浜に漂着した船の乗組員を町の人たちが
総手で救助してきたそうです。
葬儀や祭りの料理も、みんなで作ります。
ここには日本の原風景があるのです。
まだまだ日本人の心は温かいのだと、
新年早々うれしいニュースでした。
※1月9日付け某新聞の記事より
さらに地元の方からの記事によりますと。↓
おたふく堂さんが配ったのは2月に売り出す予定のお饅頭も含まれていました。
『無償とはいかない!』と、無理にお金を払っていかれるドライバーもおられたそうです。
近隣の小谷パン店では、『車に残ったおやつでしのいでいる人達がいる、』と、お店で米100キロを炊きました。
集まった地域住民20数名でおにぎり1000個以上を作って、歩いて配布しました。
9号線の渋滞だけでなく、スーパーおき5号含む18本の電車が大晦日から明けて2日の未明まで足止めされ、3万人以上が電車内での過酷な年越しをしました。
各沿線沿いのお母さん達、あちこちで自主的に炊き出しをして皆、大雪の中歩いて届けました。
今回、トイレや食料などのおにぎりリレーが色んなところで溢れていたのです…
通常の三倍の水分を含む重たい雪の為、被害は大きかった山陰ですが、家の前で車が立ち往生したら、近隣からワラワラとみんながスコップ持って出てきて助ける…
当たり前にみんなが助け合ったお正月でした。
鉄塔や電柱が折れ20万戸以上が停電し、寒い、暗い年越しをしましたが、こういうニュースがあちこちであり、改めてこの地、山陰に生まれた事が誇らしい気持ちになりました。
(以上、引用ここまで)
ランドセルの「伊達直人」さんも話題になりましたが、ニュースで静岡の施設の方が「ランドセルをうちにも置いて行かれた伊達直人がいるんですが、すでにこの春新一年生のランドセルは用意してあるんですよ」とおっしゃっていましたね。なんでも、ある競輪選手の方が毎年新一年生のために「ランドセル」を贈ってもらっているとか。
また、中部地方だったか、ある「かばん屋さん」が何十年も、生活保護家庭に新入生がいたら「ランドセル」をプレゼントされているようです。
このように、新聞にも載らなくても、地道にコツコツと奉仕活動をされている方が沢山居られるって、日本人もすてたもんじゃないですね。
阪神大震災で被災した身として、大勢のかたの善意に励まされた経験があるのでこのようなニュースにはなんか目から「お水」が流れてきます。
人間ってイイね。。。