とりあえず、見てきましたtri最終章。
一応ネタバレしまくるので悪しからず笑
まぁ自分のデジモンに対する評価って、結構思い出補正とかあるので、客観的立場にはなりきれないところもあるんですけど、「傑作」という立ち位置。
当時ネット・デジタル社会黎明期で、ネットやデジタルという存在に特別感があった時勢(マトリックス三部作とかも時期的には同じ)と相まって(今の子たちからすれば「島根にパソコンがない」とかありえない話で)、これらをテーマにした世界観にのめり込み、毎週楽しみに見ていた子供の頃の輝かしい思い出なわけで。
時勢込みでやっぱり神格化されているんだと思います。
ただこのデジモン、実はデジタルワールドという世界で繰り広げられるジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」アニメ化作品と言えるわけで、主人公たちそれぞれが成長する青春群像劇視点から見ても、真っ当な作りになっていたりもするんですけど。
そんな思い入れのあるデジモンの正当な続編「triシリーズ(全6章)」が始まるということで、2015年の1章公開時本当にはしゃいでたんですけど、それが章を重ねるごとに期待はしぼんでいき、3章のラストで怒りに変わり、4•5章のあまりにも話の進展のしなささ、テンポの悪さで期待は地に落ち、最終章の公開を迎えたという心境は、もう「無」
できればなかったことにして、文字通り「リブート」してくれてもよかったんですけどね笑
そんな中で公開された最終章。
まぁ一言で言うと「駄作」それも人生ワーストクラスの「駄作」としか言いようのないシリーズになってしまったと言うほかないんです!!
結論として最終章なんだから、いろいろな伏線とか片付くんですけど、その片付け方が一々、「じゃああの件は丸々なくてもよかったのでは?」「最終的な決断がそれって言うのは、ここまでの5作品は一体なんだったんでしょう?」的な、回収したことによる、それまでの粗が湧き出てくると言う、最悪の出来になってしまった。
これまず脚本に問題があって、「大人になることとは?」と言う点。デジタルワールドにある二大勢力の対立。これが意味不明の融合をしたらまずいでしょ。
まず「大人になること」問題からいくと。
主人公たち「選ばれし子供」と言う受動的な存在が「子供」であるなら、それが成長するには「選ぶ者」になる、能動的「大人」になるという点を描くのは物語的必然性はあるわけで、まさしく高校生という大人と子供の狭間を描くのは正しいとしか言いようがなく、テーマ設定は間違っていないと思うんです。
一章で提示された戦うことで生まれる犠牲を考えて、戦えない太一の「悩み」
これが結局6章までの通しての成長の壁として立ちふさがるんですけど、これ自体も悪くない設定で、ただこの設定が、いつの間にか、「仲間を殺さないと未来が守れない」という問題にすり替わるんですね。
「戦う」のと「殺す」のってこれ、よく考えると同じレベルの問題ではないんで。
で、まぁその問題が同列だと脚本家が思ってるならそれでもいいんですけど、じゃあ「選択」し「大人」になる点がどうなるかというと、最終的に、「戦う」「殺す」って選択をして、大人になったようにも見えるんですけど、実はこれ「そうする選択肢しかない」という状況に追い込まれての決断。つまり受動的決断でしかないのが大問題なわけです。
「殺さなければ、現実が大被害になる」だから「殺す・・・しかないよね」というのは決断とは言えないでしょ。
こんなことになるまでに覚悟を決めていて、本気で殺そうとするならわかるんですけど、みんな「どーしよー」って右往左往。してる間に事態は悪化。自衛隊がラスボスデジモン(メイクーモン)に攻撃。したらしたでみんなが「やめろ!!」とか言いながら自衛隊に文句を言う。
ヤマトはヤマトで「殺す」ではなく「別の道を探す」とか言いながらも、(彼はこの時点で無策。はっきりいうと無能です)テイルモンを運良く救出して、悟りを開いた太一が復活。その太一が「殺す」と決めたらそれに同調し、オメガモンに進化させメイクーモンをボコボコにするという。
お前のさっきの別の「道」とは本当になんだったの? と突っ込みたくなりましたね。
これ何が問題かもう一度問題点を整理すると、能動的に行動することが「大人」になること、そこを描くためのtriな訳で、結局追い詰められての決断ってそれこそ受動的つまり「子供」じゃないか? ってことなんですね。
この場合の決断って「救う」ってことじゃないんですか? それが結果かなわず「殺す」ことになるとしても。「殺す」こと前提ではその判断は受動的としか言いようがない訳で。
あと単純に最初から「殺す」という決断を太一がいくら成長するためだからといって、させちゃまずい。彼はそんなキャラではない、自分たちの中にある太一という像とtriの太一の乖離が出てしまったのもダメな点だったりするんですけど・・・。
それなら成長を拒否し「それでも」と足掻くほうがよほど「選ばれし子供」らしいしね。
でもっと問題なのが、結局太一以外のキャラはずっと背景になっている。太一がいないと何も決断できない集団になっちゃってるのがひどい。これ以上もっと変なとことかあるんですけど、いってたらきりがないんでやめるんですけど。
もう一つの「二大勢力問題」に移りますね。
この物語の諸悪の権化メイクーモン。彼の処遇を巡ってデジタルワールドにも二つの勢力があって、メイクーモンを止めようとする「平穏を望むもの」「ホメオスタシス」(選ばれし子供という制度を始めた張本人)
デジモンと人間の共存を嫌い、メイクーモンを利用しうまいこと共存できなくしたい「イグドラシル」
こいつらはこいつらで無印の頃からもめてたらしいんですけど。
問題はこの二大勢力がアホすぎる点、アホすぎて物語が必要以上に混乱してる。
そもそも無印でダークマスターズがいるからホメオスタシスは選ばれし子供を選ぶんですね、でそれを全て倒して平和になる。でもそれを良しとしないイグドラシルが世界をかき乱す。
ホメオスタシスは世界を作り直す「リブート」をする。するとダークマスターズも生き返る。そしたらまた選ばれし子供を使ってダークマスターズを倒そうとする。この設定だとイグドラシルは一生目的を果たせないんですよね・・・。
でホメオスタシスはリブート以外の手段がないので、選ばれし子供を選び続けるんですか?
いつからデジモンは輪廻転成を解くような話になったんですかね?
むずい言葉使ってるデジモンって大人っぽい。とか脚本家思ったんでしょうね、でも、それをうまく描けてないんだわ。
で、このtri、結局、物語的には先代の選ばれし子供の姫川が、死んでしまったパートーナーに会いたいから引き起こされた話で、もう一度会うにはデジタルワールドを再構築させるつまり「リブート」しなければならない、でもその権限は「ホメオスタシス」にしかない。じゃあ「イグドラシル」を利用してメイクーモンを暴走させ、現実もデジタルワールドもむちゃくちゃにすることで、「ホメオスタシス」がリブートをするようにしむけようと画策したのが諸悪の根源。結果、見事3章にて「リブート」されるんですけど。
で「リブート」するとデジモンの記憶はなくなってしまう。ということなんですけど、まぁこれ脚本の気持ちを忖度しとくと、もう一回パートナーとデジモンの絆でも描けば、満足するんじゃね? という安易な物語構成ですね笑
まぁでもそれを子供たちは知ってしまい、みんなの記憶を守るために必死に戦うのが3章なんですけど、リブートされます。
で姫川もそれを知っていたと思うんですけど、パートナーに再会でも記憶がない、で発狂。以後出番なし。これどういうことですか?
そもそも三章でリブートしたことで、本来描くはずの二大勢力の問題と、大人になること。という点を描く尺がなくなったといも言える訳で。まぁリブートしてもう一度パートナーと人間の絆を描こうとしたんですけどそしたら、残り3回ではとても描けない、どーしよー。となり、「前世で仲良しだったんだ」みたいなノリで解決させたあたり、マジで製作陣はアホだと思ったんですけど。
あっ!! で今作でこのリブートによる記憶喪失問題はついでに解決されます笑
パスワード入れれば記憶が戻ります的に。笑
戻すんならあの3章から5章までいらないし・・・
てかさ、そのパスワードは、イグドラシルがメイクーモンを利用するためにかけていたロックだから、二人の最初の思い出の語彙とかであるはずがないんだけどさ・・・。
もうこの作品の中でも矛盾してんだけど。
まぁいいやそれは。
で、この姫川の策略で二大勢力を利用しての大仕掛ってんなら、最終章でこの「リブート」は持って来るべきでは?
現実のデジタル機器の全機能喪失と、デジタルワールドのリセット。それを阻止するため、成功させるために全勢力が三つ巴で戦うくらいすれば、少なくとも3〜5の尺を別の描くべき点に当てれたはずなんですけどね。
要はホメオスタシスとイグドラシルそれぞれの大義名分を描き、それを知った上で子供達が決断をする物語にする。一章丸々使って、両勢力の描きこみをし、それを知った上で「選ばれし子供達」の行動を描く方がよほど素直な展開だと思ったんですけど、そしたらもしかしたら02組も描けただろうし。そうすれば太一以外の描きこみもできたのではないか?
これは本当に脚本上目立つみんながダメだと思っている大きな問題点で、これ以外にも、変なところとかいらないところとかいっぱいあるんですけど。
まぁ今作品。ここに来るまでに片付けなければならないとことか、そのまま変な点とか、めちゃめちゃあるんですけど。制作側がとりあえず広げた風呂敷を畳まないと!! と怒涛の回収をして、02組はずっと行方不明でした。けどデジタルワールドで寝てました、と発見したり。てか、ずっと居ないんなら誰かおかしいと思えよとかここも言い出すとキリがないんですけど。
とにかくとりあえず畳みました。的な、まぁそれは畳んでるとは言い難いようなたたみ方をして、全て有耶無耶で最終決戦。
ラスボスを「殺す」と決意をした太一と優柔不断な一行が力を合わせて激突するんですけど、その最中、ここまでろくな目に合ってない芽心の奇跡のパワーでオメガモンがさらに進化。
マーシフルモードって名前らしいんですけど、マーシフルって慈悲って意味で・・・。
ここで、この芽心の願いが奇跡を呼び覚ましメイクーモン救出かと思いきやそれはそうならず。
てかこの流れ、それでもメイクーモンも世界も守りたいという願いに呼応しての奇跡の進化でも良かったわけで・・・。でも最初から殺す気満々だから、慈悲なんてのはなく、ただパワーアップしただけ。
馬鹿でかい剣で真っ二つにして文字通り始末します。
「慈悲モード」とは・・・
名前をつける前に、辞書で意味を調べて下さい。
最後はパートーナーが死んだ芽心。てか、この子なんでそもそも出したの?
それも言い出すときりがないので、もういいですけど。
みんなが芽心にクリスマスプレゼントをあげて、「いつまでも仲間だ」みたいなこと言い出した時、どいつもこいつも狂ってやがると思いましたね。
この子は何一つ救われてないんだ。パートナーを利用させられて、失って。傷心で鳥取に帰ったんだよ、そんな子にプレゼント渡して「いつまでも仲間だ」的な、しかもそれを直接言わず電話でって・・・。
もう最後の締めくくりまでも納得のいかない作品、シリーズでした。
これで02のラストにつながりますよ的なコメントを1章の頃製作陣が言ってましたが。つながりません。
そして、triにさらに続編を制作するとかいう暴挙。
製作陣こそリブートされるべき!!
今年ぶっちぎりのワースト映画になりました。