最近ひろゆきとかそういう
物質的な?
人の情とかそういうのを考慮しない考えってのが広まって
少なくとも私も影響を受けていたりするのだが、
しばしば世の中「一生懸命」ってなんだ?
と議論される事がある。
👩「この子は一生懸命 練習したのよ!?」
👨🏻「一生懸命かどうかは関係ない。
結果を出せなきゃ意味ないんだよ」
どっちが正しい???
日本の会社って終身雇用な訳だが、
会社の昇給とか評価の際に
「一生懸命やった人」を評価するシステムになっている。
一方、欧米では「成果を出した人」を評価するシステム。
残業しようが徹夜しようが関係ないし
上司と仲良いとかも関係ない。
成果を出せなければクビになる。
どっちが良いかは、私は社会にでて働いた事がないから分からないのだけど、
日本的なシステムだと、
会社の売り上げはそこそこに
上司にうまく とりいったり、
残業前提で非効率的な仕事をダラダラしたりと
悪い面がやはり出てくる。
「そのせいで日本の景気は悪くなったんだ!」
と言って
欧米みたいにして
成果を出したかどうかで評価を決めようと
世の中そういう話が盛り上がってる訳だけど。
我々音楽家の世界に当てはめると
「一生懸命」ってめちゃくちゃ重要な要素だったりする。
例えば
モダンフルートしか吹いた事ないプレーヤーが
「トラベルソでリサイタルします」とか突然言い出して、練習し始めたとして
それを「スペシャリストでもないのに…」
と否定的に見る人も出てくるだろう。
でも、そういう必死な人の演奏って
例え拙かったりしても、ミスがあったりしても
😯心を打ったりするんですよね。
学生さんの吹奏楽部を教えに行くと
技術も音楽もくちゃくちゃだし、
夏コンの直前には楽譜も鉛筆でグリグリで読めないし…
「こうやるべきだよ」と
導いてあげるものの、
一生懸命にみんなで一つの方向に向かう姿が
プロの我々なんかよりも数段上の
人の心を掴む演奏となる。
プロ野球よりも、高校野球の方がドラマがある。
「エラーで負けるってなんやねん。」
って試合見てて正直思うけど、
テレビ屋さんは 良いプレーじゃなくて
若者が泣きながら土を集める姿を撮るのが目的なんだと思う。笑
それが「一生懸命」の魔力。
成果主義とは別の
ダメでも一生懸命やるって事は
ドラマを産む…
人の世界ってそういうもの。
僕もよくこのブログに
「ソノリテやタファゴーなんて意味ねぇ」
って書いちゃうけど、
基礎練をやりまくったせいで
音楽性が育たず、コンクールにもひっかからず、微妙な音楽家になるか…というと
全くそんな事はないわけで
若い時に馬鹿正直な練習を一日何時間も練習する者が、
実際 失敗する事なんてありえないのです。