コピーNOって書いてある癖に 譜めくり出来ない楽譜 | 神田勇哉のブログ

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フルーティスト 神田勇哉の日記

ミッキーマウスの著作権が

2024年1月1日をもって切れた


というニュースを見た。



正式には「知的財産権」

これの有効期限が切れて、

みんなが著作物を自由に使えるようになる事をパブリックドメインという。




著作権といえば、我々クラシック音楽界隈でも

常に気にしている事。


例えば、

「プログラムに著作権の生きてる作曲家の作品をやります。」と書いたら

どこから情報を仕入れたのか

コンサート後にJASRACから著作権料の支払いの請求が来る。というのが有名。


他にも

ラヴェルやドビュッシーが切れた!

と業界の中で噂になったり、


オーケストラでは、ハチャトゥリアン、ショスタコ、

フルートのレパートリーではジョリヴェやボザは、

クラシック音楽と認識されてはいるが、実はまだ権利が生きていたり


フランスの楽譜会社、ルデュク社の出版してる作品は、

作曲家自身の死後時間が経ってて著作権がきれていても、出版社が権利を持ってて、まだ権利が生きているため

演奏する場合は使用料を払わねばならない。


音楽之友社の「無伴奏名曲集」では、

初版に上記の曲を収録したが、

その後権利が生きてる事に気づいて、該当曲をカットしてリニューアル出版されたりしている。



演奏、出版の権利だけでなく、

オンラインでの演奏配信の場合の権利や、編曲の権利から、

果ては音楽に映像をつける権利なんかもあったりして複雑だ。



みなさま同じみの有名な曲でも


例えば「大きな古時計」は著作権が切れているが


きよしこの夜や 六甲おろし、ドナドナ、

この辺は古そうに見せかけて実はきれていない。



こういう話をすると、

がめつい!払いたくない!

権利会社は悪の組織!


…と思うのも無理は無いのかも知れないが



作曲家からしたら、

自分の発表された後みんなが好き勝手に使われると困るわけで…


むしろそれがあるから

作曲家という尊敬されるべき人の努力が報われて

普通に生活できるのである。




さすがにJSバッハくらい昔の人になったら

その権利のお陰で彼の末裔達が一生潤い続ける。

というのはおかしな気がするが、


例えば現代において私が

手塚治虫の漫画をコピーして売っている。

と考えると


それは絶対にやっちゃいけない事だと分かる。



だがしかし世の中には、こういうシステムの裏をついて古くからある曲を

「こいつは自分の曲や!」と言って著作権を登録して、

その配当で飯を食ってる寄生虫のような人もいる。



他にも有名な話

ディズニーは著作権をきらせまいと国に働きかけ、著作権を伸ばしに伸ばしまくってきたという。


金の力ってすげ〜な。😲とも思うし

少し意地汚い感じもする。



そのせいで著作権が

50年なのか70年なのか、

どの国がOKでどの国がダメなのか


複雑になってしまって、正直よぅ分からん…


こういう話が権利料の支払いのイメージを悪くしている。





もう一つちなみに、

Youtubeでの演奏動画は、

権利会社とYoutube側で「包括契約」としており

再生された分だけ権利者に入る事になっている。


例えば鬼滅の刃の曲の演奏をしたら

AIが勝手に判断して

自動的にJASRACから権利者へ

(レコード会社かLisaさんか 吾峠呼世晴さんかしらんが)

ちゃんと払われる。



ただ、Youtuberの一人として言わせて貰うと

このシステムがザルもいいとこで、


バッハの動画をあげたのに、

バッハのCDを出してる現代のプレーヤーの下に収益がいったり、


現代曲をあげたのに

なんの反応もなかったり、



正直とても正常に機能してるとは思えない…😅