現代のベートーヴェンからはや10年 | 神田勇哉のブログ

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フルーティスト 神田勇哉の日記




この前のコンサートのMCにて

「トランペット界の巨匠モーリス・アンドレは炭鉱夫だった。」


と言う話を聞いた。



12歳の時に炭鉱夫の父の手ほどきでトランペットを始め

あまり豊かで無い家庭の経済を支えるためモーリス自身も14歳頃から炭鉱での仕事を手伝うようになり、

その後、仕事のかたわら続けていたトランペットの才能を見出され19歳でパリ音楽院に入学。

コンクール受賞を経て世界的なスターとなる。





かのテノールの巨人 ルチアーノ・パヴァロッティも16歳の頃はサッカーチームに入っていたり、教員をやっていたとの事。


「おい、やたらと歌の上手い教員がいるぞ」

と話題になり

19歳で本格的にレッスンを受けはじめ

プロの歌手を目指すようになった。




音楽の才能とは、

上達への情熱を切らさない事、

不断の努力を怠らない事の他に


音楽のセンスや

人前の演奏に華があるかないか…

があるが


トランペットやホルンは

体格、唇、歯並びで


歌手は体格、喉、顔で


一流になれるかどうかの能力が決まる、

という残酷な側面もある。




親の七光りが嫌われるのは世界共通だが、


出自が音楽と全く縁が無いのに才能だけで見出されたりとか

貧乏な出身、不自由な体なのに

乗り越えて賞をとったりすると

ドラマが生まれてプロデュースしやすい。


このエピソードがあるか無いかが

チケットの売り上げに繋がるので、


やらしい話 

音楽事務所はその辺をゴリ押しする傾向がある。笑




音楽事務所に所属する

とあるプロ奏者に聞いた話だが、


デビューする前にプロデューサーに

「なんか無いですか?そういう不幸なエピソード。」と直球で聞かれたのだそうな。


「いや、無いもんは無いですよ…。」

とその奏者は返したそうだが、🙄



戦火を潜り抜けて…

病気を乗り越えて…

障害を持ちながら…


そんな言葉が付けば売りやすくはなるのだろうが、
現代の日本において、
そんなエピソードはそうそう起こり得ない。


という事で結局

数あるコンクール全て優勝!
国際コンクールを最年少で優勝!
あの〇〇(有名人)と共演!

あたりが売り文句の現実的なラインとなる。




ちなみに神田勇哉もエピソードなんて無い。


両親のおかげで全て望むままに成長、勉強させてもらえた。

本当に本当に感謝している。


仕事が無くて数年間コンビニ店員だった時代もあるが、

そんなのは みんな経験している。


むしろバイト店員さんを「どん底エピソード」なんて言ったら失礼だ。





私がYoutubeの動画を撮って分かったのが

多久潤一朗さん、佐藤直紀さん、そして私の

男プロフルート奏者三人とも共通しているのは


小学校のリコーダーの授業にてヒーローだった。

って事。



才能があったからリコーダーが上手かったのか

リコーダーで才能が開花したのかは分からないが、

その時の成功体験が後々に繋がっている。



でも結局、我々が人前でリコーダーを披露できて

その後もフルートに持ち替えてひたすら続けれたのは


結局 リコーダー、というか音楽が、楽器が

やる人が少なかったから、って事もあると思う。



例えば もしリコーダーとサッカーの人気度が入れ替わった世界があるとして…


クラスのメンバー全員がリコーダーをバリバリに練習してみんな上手かったら

私はプロフルート奏者になってないだろう。



何やらせても要領よくてすぐ出来ちゃう人ってのはいる。

楽器も運動神経が良い人の方が上手い。



そういう人らが

「リコーダーなんてだせえよな。」

「サッカーやろうぜ!」


って言ってくれたお陰で

我々はフルートを今日も吹いている。


才能よりも成功体験のが大事だ。