追悼 松尾清三さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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『アメリカ横断ウルトラクイズ』を愛好する者にとっては正に「巨星墜つ」の知らせとなりました…。

 

『アメリカ横断ウルトラクイズ』初代クイズ王の松尾清三さんが亡くなられました。5月24日に85歳で亡くなられたとの事です…。

 

正にクイズ界の大レジェンドであった。京都市の材木商の息子として生まれ、立命館大学卒業後家の材木問屋に入りそのまま家業を継いだ(立命館大学OBという事からその後大いに活躍する立命館大学クイズ研究会の面々からは大先輩として更なる尊敬を集めている)。

クイズ番組華やかりし頃にクイズ番組を見て興味をもち、(年月は不明だが)『ベルトクイズQ&Q』でクイズデビューし3人勝ち抜くもその後のミリオンステージで敗退。これで自信を持ったかその後もクイズ番組出場を続け、『クイズグランプリ』『アタック25』で優勝を果たしクイズの実力者の仲間入りをした。

 

そして昭和52年に『アメリカ横断ウルトラクイズ』の第1回が開催され、参加したところあれよあれよという間に勝ち進み優勝を果たし栄えある初代クイズ王となった。クイズの強さだけでなく気さくなおっちゃんキャラという事も視聴者には魅力となり、これにより『ウルトラクイズ』第13回クイズ王の長戸勇人さんをはじめ多くのクイズプレーヤーがクイズの道に進むきっかけとなった。

(なお『アメリカ横断ウルトラクイズ』の話は書けば長くなりますので後日になりますが独立した記事で書かせていただきます。但し、他にも書く記事がありそちらを優先させますので公開は大分後になる事を御了承願います。)

 

その後も活躍を続け『ウルトラクイズ』を含めてクイズ番組では5回優勝を成し遂げたが、この他にも昭和49年に出場した『ダイビングクイズ』では7人勝ち抜きで優勝のルールだったが6人勝ち抜いたところで番組終了となってしまい優勝扱いされないという珍しい話もあった。

 

その後老境の域に入った平成になってからも現役のクイズプレーヤーとして活動し、『史上最強のクイズ王決定戦』『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦!』では度々本選に進出し老いて増々盛んなところを見せた。特に『史上最強のクイズ王決定戦』では石坂浩二さんとの絡みが有名で、第1関門の三択クイズでは石坂さんと席が隣同士で御互い正解すると握手をするシーンが見受けられたり、初めて予選が関東・関西に分けられた時に関東予選会場にいた石坂さんが関西予選会場にいた松尾さんに呼び掛けてやり取りをするといった事が大いに印象に残っていた。

 

『第1回ウルトラクイズ』の頃は私はまだ2歳だったのでリアルタイムでは見ていない(但しその後御厚意により第1回の全般を見る事が出来た)。この方をリアルタイムでしっかり見たとなると昭和62年の『第11回ウルトラクイズ』で準決勝ニュージャージーで決勝進出を目指す4人の挑戦者の関門的存在として登場したのが最初になる(ルールは挑戦者1人と松尾さんとの1対1の対決クイズ)、この時リアルタイムで見た感じは気のいいおっちゃんのところもあったが初代クイズ王の風格を感じたところもあったのが正直なところでした。

その後見たのは前述の『史上最強のクイズ王決定戦』『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦!』だが、既に50歳を過ぎてる事もあって予選通過者の中では1・2を争う高齢だったが(それ故「クイズ界の長老」とキャッチフレーズを付けられた事もあった)それでも活躍する姿を見て「凄いな~」と感嘆したものであった。

 

その後本業の材木問屋の方は後継者不足と材木業界の変化もあって平成25年いっぱいで廃業となったが、クイズプレーヤーとしてはその後も活動を続け最後まで現役を貫いた。

 

亡くなられてしまうのは本当に寂しいが、長い間クイズ番組でその実力とキャラクターで楽しませてくれた事は大いに感謝しております。

 

松尾さん、長い間御疲れ様でした。

 

 

 合掌