昭和歌手列伝109 立川清登 | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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◎立川清登<昭和4年~60年>(紅白歌合戦4回出場)

○主な名曲<昭和37年>「大きな古時計」

     <昭和51年>「四季の歌」

○東京芸術大学在学中の昭和28年にオペラ『椿姫』のジェルモン役でデビューし、オペラやミュージカルの舞台で活躍し二期会の中心的存在となる。その一方で巧みな語り口とユーモラスなキャラクターで本業以外でも司会・タレントとして活躍、特に『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員で御馴染みだったが、活躍最中の昭和60年に急に倒れて亡くなられた。

 

最初この記事の趣旨から大きく外れた話で申し訳ないがあえて語らせてもらう。実は今年おニャン子クラブ結成40年目なんです(昭和60年結成)、つまり来年になると40周年になる、つまり結成された昭和60年からもう40年になるのである、時の流れのあまりの速さを痛感する次第である。

実はその昭和60年で思い出した事があって、実はその年は歌の世界にとって相当前の時代としては亡くなられた方が多かった残念な一年でもあった。言うまでも無い世界の大歌手坂本九さん・NHKの朝ドラ『ブギウギ』のモデルとして再び注目された笠置シヅ子先生・ロカビリー「三人ひろし」の一員であった井上ひろしさん・大俳優でありながら歌手としても「昭和ブルース」をヒットさせた天知茂さん・そして大晦日にはこの立川清登さんも亡くなられてしまったというあまりにも残念な一年でした…。

 

私にとってこの方といえば完全に『オールスター家族対抗歌合戦』のイメージである、また年代的に教育テレビの小学2年生向け音楽教育番組『うたって・ゴー』にも出ていてそちらでも馴染んでいた(後年知ったのだが私が小学校に入る前のこの番組であの堀江美都子さんとコンビを組んでいたのには驚いた)。

またその時期だと土曜朝の情報番組『すてきな出逢い いい朝8時』の司会を務めたり、あの『スターどっきり㊙報告』の司会を務めるなど私にとっては完全にマルチタレントのイメージだったが、当然それは当時何も知らない小学生のガキであった私の愚かな考えであった…。

 

とは言うもののそれ以前の事は生まれて無いので実感として体験していない以上この方の凄さは体感としてはわかって無いので過去の映像・音源・資料に頼るしかないのが現状である。しかもオペラ・ミュージカルに関しては私は全く疎い人間なのでそちらの面は資料に頼るしかないのだが、オペラ『フィガロの結婚』の主役フィガロ役が代表作と書かれているから主役も相当あったらしいし喜劇系も得意だったらしいし悪役もこなすからオペラの人としては相当な人だったんだろう。しかしそれに関しては私は全く疎いのでその凄さは叶わぬ事だが見てみないとわからないのが現状である。

一方で喜劇系で出したユーモラスなキャラクターと巧みな語り口を見込まれて昭和35年にNHKの音楽番組『音楽をどうぞ』の司会を務め、それ以降は前述のようなテレビでの大活躍をするのだからクラシックの世界の中でも正に「唯一無二の存在」だったと言える。

 

過去の映像や音源(CD)だと『紅白歌合戦』での昭和38年(第14回)の「運が良けりゃ」・昭和40年(第16回)の「教会へ行こう」(いずれもミュージカル『マイ・フェア・レディ』のナンバー)を見ると流石クラシックの人だけに声量の凄さに圧倒された。また昭和41年(第17回)はあのビートルズの「イエスタデイ」を歌ったのだが、あのビートルズナンバーをここまで歌い上げたのも凄かった。

あとNHKのBSで再放送された『ビッグショー』の「日本の詩情 はる」(春をテーマにした童謡・唱歌・叙情歌を歌う回)を見たのだが、立川さんはこの回で「あわて床屋」「仰げば尊し」などを歌ったのだが見てて思うのはキチンとした日本語で聴かせようとしている感があって正に日本の声楽の矜持を感じたものでした。

また実はあのアメリカの「大きな古時計」は『みんなのうた』でこの方が歌った事により実質的に日本に広めたのであった(但し戦前に別の訳詞でレコード発売されていたのだが)。

 

しかし活躍最中の昭和60年12月に脳幹出血で倒れて大晦日に56歳の若さで亡くなられたのは本当に残念で、年が明けた昭和61年に『オールスター家族対抗歌合戦』で追悼特番が放送されリアルタイムで見たのだが、同じ審査員の近江俊郎先生の弔辞や過去の立川さんの映像を見ていつも見ていた人がいなくなった事による居た堪れない気持ちになった事を思い出します…。もうこういった方は出て来ないでしょうね…。

 

 

 追記

 

ちなみにアニメ『それいけ!アンパンマン』のテーマ「アンパンマンのマーチ」を歌ったドリーミングや音楽教育番組『なかよしリズム』の歌のお姉さん中山圭以子(旧名 中山圭子)は立川さんの弟子である。

(但し中山圭以子さんはアイドルを辞めた後に立川さんの弟子になった)