追悼 「クールファイブ」小林正樹さん・「ヤング101」若子内悦郎さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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仲宗根美樹さんもそうだが1月に続いて2月も昭和歌謡に関しては残念な訃報が立て続けに届いてしまいました…。

 

ムード歌謡グループ「内山田洋とクールファイブ」のメンバーだった小林正樹さんが亡くなられました。この数年は胃を全摘出するなど入退院を繰り返した闘病生活を送っていたそうです。

正にムード歌謡華やかりし時代を飾った名脇役であった。長崎県佐世保市の出身で、昭和42年に長崎市のキャバレー「銀馬車」の専属バンドとして「内山田洋とクールファイブ」が結成されベース奏者として加入。翌昭和43年に佐世保のナイトクラブで歌っていた前川清さんの歌声に聞き惚れて自らスカウトしてクールファイブのメンバーに加入させた。そして翌昭和44年に「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビューを果たしいきなり大ヒットとなり、その後も「逢わずに愛して」「噂の女」「そして神戸」などがヒットしてグループの人気は確固たるものとなった。そんな中で昭和48年にはカーペンターズのカヴァー「イエスタデイ・ワン・スモア」ではメインボーカルを務め、結果的に前川さん在籍時のクールファイブのシングルA面では唯一の前川さん以外でのボーカル曲となった。

その後昭和50年放送開始のバラエティー番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』にグループごとレギュラー出演し、萩本欽一師匠と前川さんとの「コント54号」だけでなく個々のメンバーにも焦点を当て、小林さんもリーゼント頭の厳つそうな顔立ちから南州太郎師匠のギャグ「おじゃまします」を発してお茶の間の人気者になった。

その後昭和62年に前川さんがグループを脱退してグループは低迷状態となり、平成4年に自らも宮本悦朗さんと共にグループを脱退した。そして平成18年にリーダーの内山田洋さんが亡くなると同年の『紅白歌合戦』では前川さんのサポートとして残りの5人全員が集まり、当初は一夜限りだったが好評につきその後も折を見て5人で活動するようになった。

前川さん在籍時のクールファイブは私が小学6年の頃までなのだが、正直多分リアルタイムでは何回か見ていたと思うがおぼろげな記憶しかないと思う、全盛期の映像をしっかり見たのは大体過去の映像を見てになる。そしてリアルタイムでしっかりした記憶で見るようになったのは平成18年の再集結以降になります。ソロでの小林さんで印象に残ったのはBSでの再放送で見たのだが、昭和54年の『紅白歌合戦』で加山雄三さんの「旅人よ」で野口五郎さん・さだまさしさんのギターと共に小林さんもウッドベースで参加して演奏し、演奏終了後にアグネスラムさんが登場して加山さんなどに首にレイを掛けてキスをしたのだが、小林さんだけはウッドベースの上のところにレイを掛けるというオチで笑ってしまったが、その後はしっかりキスされたので何となくホッとした感じがしました。

これでクールファイブは2人いなくなってしまいました…、本当に残念な事であります…。

 

「ヤング101」のメンバーだった若子内悦郎さんも亡くなられました。約2年ほど癌の闘病をしていたそうです…。

ヴォーカリストとして表に裏に縦横無尽に活動された方でした。東京都港区の出身で、昭和42年に尾藤イサオさんのバックバンドとして「ザ・バロン」が結成されベース奏者として加入した(なおボーカルもこなしている)。その後昭和44年にバンドは尾藤さんの元から独立し同年鍵山珠里と組んで「ジュリーとバロン」名義でレコードデビューした。

その後昭和45年放送開始の音楽番組『ステージ101』のオーディションに合格し、番組の出演グループ「ヤング101」にバンドごと加入した。「ヤング101」加入後もバンド活動を続けていたが、昭和47年3月にバンドメンバーの清須邦義さんがグループを卒業した事により「ザ・バロン」が解散、その後は同じバンドメンバーだった河内広明さん(後の作曲家の芹澤廣明)とデュオ「ワカ&ヒロ」を組んで番組の中心的存在として活躍した。

そして昭和49年3月末日に『ステージ101』が終了し「ヤング101」も解散した、そして翌昭和50年に「ワカ&ヒロ」も解散し、その後はヴォーカリストとして自ら歌う方としてはCMソングやアニメ・子供向けソングなど多岐にわたり歌い、時代劇『大江戸捜査網』のエンディング曲「ながれ橋」やアニメ『はじめ人間ギャートルズ』のエンディング曲「やつらの足音のバラード」で知られていた。裏の方ではスタジオミュージシャンとして多くのミュージシャンのレコーディングやコンサートのバックコーラスなどを長きにわたり務めてきた。

「ヤング101」の頃の活躍期は私は生まれてなかったので当然リアルタイムでは見ていない。「ヤング101」に関しては平成5年の『思い出のメロディー』での出演でその存在を知り、「放送ライブラリー」や「NHK放送博物館」に出向いて過去の『ステージ101』の映像を見たりしてこの方の歌う姿を見ました。またBSでの吉田拓郎さんの特番でバックコーラスで参加している姿も見てました。

あとこれは亡くなられてから知ったのだが、実は子供の頃にこの方の存在を知らなくてもこの方の歌声を聴いていて、リアルタイムに聴いてた『ひらけ!ポンキッキ』内で流れた「パップラドンカルメ」がこの方の歌だと知って驚いた。また同じく子供の頃に前述の『はじめ人間ギャートルズ』が再放送されていたので「やつらの足音のバラード」も聴いてました。

癌の闘病中である昨年より清須さんと組んで自らのアルバム制作に取り掛かり何とか完成したものの、発売を待たずに亡くなられてしまいました…完成したとはいえ無念だっただろうな…。

 

 

 合掌