追悼 琴ヶ嶽綱一 | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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訃報が続きます…今度は大相撲からになります…。

 

大相撲元幕内琴ヶ嶽の竹内孝一さんが亡くなられました。2月24日に71歳で亡くなられたとの事です…。

 

主に昭和50年代前半に活躍した細身の力士であった。北海道弟子屈町の出身で、家の農家の仕事および牛乳配達のアルバイトで身体を作り上げ、自ら力士を志し中学3年の昭和42年に上京して佐渡ヶ嶽部屋に入門し同年11月場所に初土俵を踏み、翌昭和43年1月場所に琴緑の四股名で序ノ口に付いた。その後琴魅鳳と改名し昭和48年5月場所に幕下優勝を果たして弾みを付け、翌昭和49年1月場所に十両昇進を果たした。そしてこれは結果的に最初の師匠である先々代佐渡ヶ嶽親方(元小結 <初代>琴錦)が生前に昇進させた最後の関取となった。

 

しかし肩の故障のため2場所で幕下に陥落し、その後1年半幕下で苦しんでる間の昭和50年5月場所に琴ヶ嶽と改名、そして昭和50年11月場所に十両に戻って以降は関取の座に定着、翌年の昭和51年7月場所に入幕を果たした。

新入幕の場所こそ勝ち越したが翌9月場所の大きな負け越しで十両に落ちるも、翌年の昭和52年1月場所で十両優勝を果たし翌3月場所で再び幕内に戻り、その3月場所では先場所の勢いそのままに初日から6連勝となり三賞受賞こそなら成らなかったものの11勝4敗の好成績で終えて、翌5月場所では西前頭筆頭にまで上り詰めた。

 

186cmで111kgの長身軽量で、左四つからの吊り・寄りと右上手投げを武器にキビキビとした相撲を取ったが、軽量もあったが肩や肘の故障もあって上位には通用しなかった。

 

その西前頭筆頭で迎えた昭和52年5月場所は3勝12敗と大きく負け越し、次の7月場所も大きく負け越して一気に十両に陥落し、その後幕内は昭和53年3月場所に復帰したのみで以降はしばらくは十両に留まるも昭和55年1月場所に幕下に陥落し翌3月場所に琴美鳳に改名し同年11月場所に十両に戻るもすぐに陥落したが昭和57年1月場所に再び十両に戻り再び琴ヶ嶽と改名したが十両と幕下の往復の状態となり、昭和58年5月場所に幕下に陥落すると十両に戻る事無く翌年の昭和59年3月場所に現役を引退し白玉親方となった。

 

この方が幕内で活躍していた頃は私があまりにも幼い頃だったので、残念ながら見たとしても全く記憶に無い。この方を記憶の上で知ったのは既に幕下に落ちていて琴美鳳と名乗っていた頃であった(私の古い大相撲の記憶は5・6歳なんです)、一応その頃の相撲はリアルタイムで幾番かは見ていたと思う。そして前述のように十両と幕下の往復があった印象であったので、幕内にいた事を知ったのは御恥ずかしながらこの方が引退する頃であった。

 

現役引退後は白玉親方となり佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として後進の指導に当たったがが借株のため平成7年3月に弟弟子の琴椿が引退して白玉親方になったのを機に廃業して相撲協会を去り、その後は故郷の弟子屈町に戻り町役場の職員となり当時町営だった大鵬相撲記念館(当時の名称は弟子屈町川湯相撲記念館)に勤務し、記念館が民間委託となった後は水道課に勤務したそうです。

 

自分にとってリアルタイムで見てきた力士がまたいなくなってしまいました…残念な事であります…。

 

 

 合掌