追悼 <四代>翁家小楽師匠・<九代>春風亭小柳枝師匠・小澤征爾さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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とにかく私自身の趣味・思うことなど書き込んでいきます。

前々々回の記事で<三代>林家正楽師匠の訃報を書きましたが、それに続いて寄席に欠かせない方々が相次いでいなくなってしまうとは…。更に同時期に日本の至宝もいなくなってしまいました…。

 

太神楽曲芸芸人の<四代>翁家小楽師匠が亡くなられました。80歳を迎える一月半前に亡くなられたとの事です…。

寄席の色物として欠かせない方であった。東京都台東区の出身で、太神楽芸人の<二代>翁家和楽師匠の息子として生まれ、家柄から昭和27年にわずか8歳で父の元に入門し腕を磨き、昭和33年に翁家小楽の四代目を襲名。昭和38年には兄の<三代>翁家和楽が所属している翁家トリオに参加して寄席に欠かせぬ色物として活動し、昭和53年にはトリオで芸術祭優秀賞を受賞するも昭和57年に解散。同年に和楽師匠との兄弟コンビでの活動を始め、このコンビも長くにわたり活動していたが平成26年に兄の和楽師匠が亡くなると同年には自らの弟子翁家小花・兄の弟子の翁家和助を加えて翁家社中を結成しまとめ役として引き続き寄席で活躍していった。

私は平成9年の暮れから寄席通いをしていたので和楽・小楽のコンビの頃から生の高座を見ていました。私が見た頃は和楽師匠がある程度トシ(失礼!)という事もあって曲芸は小楽師匠が中心に行っていてその至芸を生で楽しみました。ただ翁家社中になってからはタイミングが悪かったか1・2回しか見れなかったのは残念だった。

平成30年の1月30日が最後の高座となってしまいましたが、翁家社中は現在も和助さん・小花さんの二人で活動しているそうです…。

 

落語家の<九代>春風亭小柳枝師匠も亡くなられました。1月31日に老衰で88歳で亡くなられたとの事です…。

本寸法の噺を聴かせた正統派の噺家であった。東京都新宿区の出身で、高校卒業後会社員として10年余り働くも趣味の落語の熱が高じて昭和40年に29歳という当時としては超が付くほどの遅さで<四代>春風亭柳好師匠に入門し「春風亭笑好」を名乗り研鑽を積むも、師匠が昭和47年に心筋梗塞で倒れて以降の健康不安もあって昭和51年に<五代>春風亭柳昇の門下に移り「春風亭鶏昇」と改名、昭和53年に真打に昇進し<九代>春風亭小柳枝を襲名した。

その後は派手さは無いが本寸法で聴かせる古典の本格派として寄席を中心に活動し、平成25年には文化庁芸術祭の大賞を受賞した。またその一方で落語芸術協会の芸人たちで組んだハワイアンバンド「アロハマンダラーズ」のサブリーダーを務め、ボーカルおよびウクレレ担当として活躍した。

私が寄席通いを始めて数年くらいは落語協会・落語芸術協会と同じ割合で行ってたので、この師匠の生の高座はその頃何回か見ていた。派手さは無いがその正統派の高座はどこか爽やかな風を感じたものでした。ただその後寄席通いがほぼ落語協会になってしまったので、この師匠の高座をここ10年くらいは見てなかったので自業自得とはいえ残念であった。

その後平成28年に脳梗塞で倒れ、翌平成29年に復帰したものの体調及び高齢の問題もあって更に翌年の平成30年が落語としては最後の高座となったが、その後寄席興行内でのアロハマンダラーズでのステージで車椅子姿で登場し歌を披露したのが本当の意味での最後の高座となり、その後はリハビリおよび療養に努めていたそうです…。

 

クラシック指揮者の小澤征爾さんも亡くなられました。2月6日に88歳で亡くなられたとの事です…。

世界に誇るクラシック界と言うより日本国そのものの至宝であった。当時の満州国奉天市(現在の中国瀋陽市)の生まれで、昭和16年に日本へ戻り、その後兄からアコーディオンとピアノの手ほどきを受けた事が音楽との関わりの始まりで当時はピアニスト志望だったがラクビーの試合で指を骨折し断念。その後昭和26年に斎藤秀雄の指揮教室に入門してから指揮者の道に進み、桐朋学園短期大学卒業後本格的な指揮者活動に入り昭和34年にフランスへ渡り同年ブサンソン国際指揮者コンクールで優勝した事で国際的に注目を高め、その後カラヤンやバーンスタインなどの世界の名だたる指揮者に師事して更に腕を上げた。

昭和36年にNHK交響楽団の指揮者に招かれるもN響との感情的な軋轢によるトラブルから辞任し、その後は海外での活動に重点を置きボストン交響楽団音楽監督・ウィーン国立歌劇場音楽監督などを務め世界的な名声を大いに高め、一方で新日本フィルハーモニー交響楽団の設立以降の中心的な役割を果たしたり平成10年の長野オリンピックの音楽監督を務めるなど国内でも足跡を残し、その功績から平成20年に文化勲章を受章した。

どんなにクラシックに疎い人でも名前だけは一応知っているくらいの偉大な方で、かく言う私もその一人。そんな私がこの方の名前を知ったのは小学生の頃で、(記憶が間違っていたら申し訳ないが)学研の『○年の学習』かな?その付録として世界の偉人50or100人(何せ40年前後も前の話だし現物も無いし正確な数なんざ忘れたのよ…)を書いたミニ冊子の一番最後がこの小澤さんで、40年も昔ではあるが既に「世界の偉人」の扱いだったので子供心に「凄い人だな。」と感じたものでした。ただ前述の通り私はクラシックに疎いのでその後はニュースなどで見るくらいではありましたが…。

どちらにしても日本にとって大きな宝を失ってしまいました…本当に残念な事であります…。

 

 

 合掌