追悼 坂田利夫師匠 | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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昨年末に届いた残念な訃報の二つ目になります、この師匠の死はこの時期に蔓延した訃報以外の残念なニュースが吹っ飛んでしまうくらいの衝撃であった…。

 

坂田利夫師匠が昨年末に亡くなられました。老衰のために82歳で亡くなられたとの事です…。

 

国民に愛された偉大なる「アホ芸人」であった。大阪市の出身で、高校卒業後職を転々とした末に昭和39年に吉本新喜劇の研究生となり、そこで終生の友となる西川きよし・ヘレン夫妻・や後の相方の前田五郎と出会い、新喜劇では通行人を皮切りに端役での活動となった。

 

昭和42年に先に漫才の世界に入ったきよし師匠の勧めで前田師匠と漫才コンビ「コメディNo.1」を結成、ボケとツッコミが入れ替わるテンポの良い漫才で頭角を現し昭和45年には上方漫才大賞新人賞・昭和47年には上方お笑い大賞金賞を受賞。また漫才でのやり取りの中で前田師匠から「お前はアホか!」と言われ「そうやアホや!」と返したところ大受けした事からアホキャラでいくようになり「アホの坂田」の愛称で親しまれ昭和47年には「アホの坂田」の題名の歌まで作られるくらいになったが、この曲はその後も師匠の登場時に使われるテーマソングとなった。

また漫才以外でも前述の新喜劇での経験を生かして『あっちこっち丁稚』『吉本コメディ』などの関西発のコメディ番組でも活躍、特に『あっちこっち丁稚』では主役の3人の丁稚の一人利松を演じそのアホ振りで大いに楽しませた。

 

しかし昭和40年代の演芸ブームに活躍し、昭和54年には上方漫才大賞を受賞し実力的にも充実していた中ではあるが何故かその後の漫才ブームに乗る事が出来ず、ブームに活躍した芸人たちを尻目に(関西の番組出演が多いとはいえ)吉本の寄席の留守番部隊的な活動に留まっていた感があり、それもあって当時は関東では知名度的にはイマイチの感があった。

(地元関西発を含めての正式にソロに出るようになった時期は不明だが)昭和60年代に入ると『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」でさだまさしや田原俊彦に扮したのが全国ネットでのソロ出演の皮切りとなり、平成4年に『第9回ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で存在感を発揮して以降は漫才活動と並行してソロ活動では全国ネットのレギュラー番組こそ持たないが要所要所でのゲスト出演でアホ振りを見せて大いに活躍し、CMでも富士通のCMのタッチおじさんの声や現阪神タイガース監督の岡田彰布さんとのやり取りが秀逸な味の素『どん・でん』などで大いに存在感を発揮した。

 

3年前の前田五郎師匠の追悼記事(当ブログ令和3年11月16日『追悼 前田五郎師匠』)にも書いたが、私は関東育ちなので前述の『あっちこっち丁稚』『吉本コメディ』が関東で放送されなかったので見る事が出来ず、加えて前述の通りコメワンは漫才ブームに登場しなかった事もあって私が本格的にコメワンの漫才を見たのは平成に入ってからだと思う。

コメワンの漫才以前に私が坂田師匠の姿を見た最初は前述の『ひょうきん族』になる、吉本の後輩にあたる「ひょうきんベストテン」司会の島田紳助さんからドツかれたり「オイ、おっさん!」と言われたりしてたのをリアルタイムで覚えていた。あと『第9回お笑いウルトラクイズ』では選手宣誓ではギャグのオンパレードで面白かったし、ドッキリコーナーである「人間性クイズ」では女マッサージ師が実はSM嬢というものだったがその時の師匠のリアクションが面白かった。

そして圧巻だったのが『ものまね紅白歌合戦』で、その前の『ものまね王座決定戦』で清水アキラさんが坂田師匠のものまねでピンクレディーの「UFO」を「アッホー!」と歌ったのを再び披露したら坂田師匠がアキラさんが着てたのと同じ女物の際どい衣装を着て「アッホー!」と登場したのは完全に腹を抱えて笑ってしまった。

 

漫才に関しては坂田師匠のイメージから坂田師匠が完全ボケと思われがちだが、実はコメワンの漫才は同時代のやすし・きよしやWヤングに負けず劣らずのボケとツッコミが入れ替わるコンビで、コメワンの漫才は映像ソフト化されているので(『「お笑いネットワーク」発漫才の殿堂』)見たのだが前田師匠も相当ボケまくっていて坂田師匠がツッコむところも多く見受けられて、見た当初は「へえ~、アホの坂田はボケるだけでなく相当ツッコむんだな。」と妙に感心したものであった。

また毎年大阪旅行に行ってた関係でNGK(なんばグランド花月)でコメワンの生の高座を2・3回見る事が出来たのは幸せであったが、後述するコンビ解散が無ければもっと見れたかもしれないと思うと返す返すも残念である。その後NGKで解散後に「NGKスペシャル」のコーナーで坂田師匠を主にしたコントコーナーがあってそれは2回ほど見たのだが、結局それが坂田師匠を生で見た最後となった。

 

その後もソロとコンビの活動を並行して行っていたが、平成21年に残念な事情からコンビ解散となってしまい完全なるソロ活動となり、前述の通りコント・コメディでの舞台出演をこなしていったが一昨年の7月の寄席出演が最後となった。晩年は高齢者施設に入所しており、前述の『あっちこっち丁稚』などで共演した盟友間寛平師匠がツイッターで坂田師匠の近況報告をしていた事も話題になった。

 

前述の歌「アホの坂田」の最後の台詞の部分より

<前田>「なにー!坂田が生き返ったー!」

<坂田>「閻魔さんがな、「アホはいらんから帰れ!」言うねん。」

これが現実であればな…、ついでを申さばこれに乗じてあの北陸の大地震の被害者を師匠が全員引き連れて生き返って欲しかったな…。

 

 

 合掌