追悼 キラー・カーンさん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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とにかく私自身の趣味・思うことなど書き込んでいきます。

暗い話が続きます…と申しましてもこちらは昨年末の話で、ショックな訃報が立て続けに届きまして、その一つ目の方になります…。

 

元プロレスラーのキラー・カーンさんが昨年末に亡くなられました。自身経営の居酒屋「カンちゃんの人情酒場」で接客中に突然倒れてそのまま亡くなられたとの事です…。

 

巨体を生かしたスケールの大きいレスリングで国内外のリングで活躍された方でした。新潟県燕市の出身で元々はバスケットボールの選手を目指していたが挫折し、高校中退後に知人の紹介により大相撲の春日野部屋に入門し昭和38年3月場所に初土俵を踏んだ。力士時代は越錦の四股名で<初代>栃東の付け人をしながら修行を積んでいたが、三段目上位から幕下下位の往復と伸び悩みの状態となり昭和45年5月場所限りで廃業した。

 

その後翌昭和46年1月に日本プロレスに入門し、同年6月に本名の小沢正志のリングネームで同じく昨年亡くなられた木戸修戦でデビュー。その後昭和48年に新日本プロレスに移籍、身長195センチの巨体から海外での活躍を期待され昭和53年にメキシコへ本格的な武者修行に旅立ちモンゴル人レスラーとの触れ込みでリングに上がり(リング名「テムヒン・エル・モンゴル」)、その後翌昭和54年にアメリカに進出しキラー・カーンと改名し巨体を生かしたモンゴリアンチョップを武器に主力ヒールとして活躍するようになり、特に昭和56年5月にアンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦で彼の右足を骨折させた事で大いに名を上げた。

 

前述のアンドレ・ザ・ジャイアントとの闘いの直前の昭和56年3月に凱旋帰国し、その後は日本とアメリカを股にかけて活躍。日本においては昭和58年に長州力らと「革命軍」を結成し同年「維新軍」に発展し団体の反体制勢力として新日本正規軍との構想を展開、その後昭和60年に長州らが設立したジャパンプロレスに参画し全日本プロレスに参戦するも昭和62年に再びアメリカのリングで活動するも、ジャパンプロレスの分裂騒動によりプロレス界の人間関係に嫌気が差し同年に現役を引退した。

 

現役引退後は新宿に「スナック カンちゃん」を開店、あの尾崎豊さんが常連客という事でも知られていた。その後は場所と名前を変えながらも飲食店経営を続け、時間のある限りは自ら接客しリング内とは違った気さくな人柄で大いに親しまれた。

その一方で店の経営の合間を縫って『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』などのバラエティー番組出演やドラマ・映画出演などをこなし、平成17年には歌手デビューを果たした。

 

この方を見た最初となると私が子供の頃は新日本プロレスの興行はゴールデンタイムで放送されていたので多分それが最初になると思う。また一番印象が強かったのは前述の『お笑いウルトラクイズ』で、第3回・第6回・第10回に格闘技クイズのレスラーとして参戦していたのだが、この時レスラーとして参戦していたから現役だったのかと思ったら後で既に引退していたと知り驚いた。また第4回はどう言うわけか最初からツアー参加者として多くの芸人や懐かしのタレントたちに交じって参加したのだが、格闘技クイズはキックボクシングだったのだがダチョウ俱楽部と対戦する事になり途中から御互いグローブを脱ぎ捨てて結局プロレスになってしまったのは内心「オイオイ!」と思った。

 

その後令和3年に残念な事情が諸々重なり嫌気が差した事から「居酒屋カンちゃん」を閉店。しかし昨年3月に再び西新宿に「カンちゃんの人情酒場」を開店したばかりだった。

 

しかしせっかく再び店を開いたばかりなのにあんな形で亡くなってしまい、それにより店の方も近く閉店する事になって御本人も相当無念だっただろうな…。

 

 

 合掌