昭和の名力士100+50人・51     (横綱)<四代>朝潮 太郎 | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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◎朝潮太郎(本名 米川文敏)(昭和4年~昭和63年)

 (最高位)横綱 (所属部屋)高砂部屋

 (四股名)米川→朝潮→朝汐→朝潮


 <初土俵>昭和23年10月 <新入幕>昭和26年1月

 <新大関>昭和32年5月 <新横綱>昭和34年5月

 <引 退>昭和37年1月

 <親方名>振分→高砂


 (優 勝)5回

 (三 賞)殊勲賞4回

 (アダ名・形容詞)「大阪太郎」「ジャリガニ」「毛ガニ」「ジャイ」

            「ターザン」「タロウ」


仁王様のような巨体・太いゲジゲジ眉毛・濃い胸毛・これも濃いモミアゲ(「モミアゲ朝潮、胸毛は長嶋(茂雄)・・・」という言葉もあったそうです。)といった特徴ある風貌と、明るく愉快な性格で加えて優しい人柄で少年ファンの人気は絶大で、映画にも出たり漫画月刊誌の表紙になったりして相当な人気者だった。

と、ここまで書いたが何か違和感を覚えてしまう。と言うのも私にとっての横綱朝潮はもう既に高砂親方で、高見山・富士桜・(大関)朝潮・水戸泉・小錦の厳しい師匠というイメージで、映像や写真で高砂部屋の稽古風景を見ても横綱朝潮の高砂親方は見るだけで厳しい印象を感じたもので、親方になったのだから厳しいのは当たり前と言われればそれまでだが「明るく愉快な性格」と言われてもどうもピンと来ないのである。

力士としての朝潮は頭をつけて右上手・左はず押しではさみつけるようにして巨体を利して前に出る相撲で、これが決まると栃錦・若乃花もタジタジの状態で圧倒的な強さを誇ったが、飛び込まれるとモロい負け方をすることもよくあり、俗に「強い朝潮」「弱い朝潮」が同居してると言われたものだが、なぜかそんな所が弟子の高見山や(大関)朝潮にも受け継がれているのが面白い。晩年は脊椎分離症にかかってしまったので「弱い朝潮」の出番が多くなってしまったのは残念である、その素質・巨体のわりに思ったほどの大成ができなかったのは残念な点である。

「大阪太郎」の異名の通り、5回の優勝のうち4回は大阪の春場所で獲得し(残りの1回は昭和33年11月の九州場所)、横綱昇進を決めたのも大阪の春場所であった。その代わり横綱としての東京場所での成績は11勝が最高だから東京での実績はあまり褒められたものではない、だから「強い朝潮を見たかったら大阪へ行って見ろ!」といっても過言ではなかったと言える。