つぶやき。~HSPの詳細はよく知らないので語れないですが、ただ鈍感になりたい~
おはようございます。goromiです今日も読んでくださりありがとうございます今日は自分語りを少し子どもの集団生活がスタートすると、様々な家庭環境の違い、育児方針の違い、個々の性格の違い……。その中で、あって当たり前の違いだけど、それによって合う合わない人もでてきたりと。対人関係は様々な形で始まりますそれに他人の心の中までは当然分からず、操作できず。相手あっての対人関係だけど、相手次第でこちらの思いや考え方は、プラスにもマイナスにも変化する。すごく人当たりがいい人だなと見ていても、どこかの誰かにとっては鼻につく対象になっていたり愛想のない印象を受けて近寄りがたいなと思っていたら、ただのシャイで不器用な人だっただけで、話し始めると楽しい人という印象へ変わることもある『隣の芝生は青いな』フィルターをかけて常に過ごしている人もいますねわたしも以前はそうでした。そして今もたまに、そのフィルターがかかりそうになったり、調子のいいときはそれを自分自身で阻止できたり。そのフィルターを通して過ごしている人の中には、自信を無くす人や落ち込む人もいれば、勝手に怒りに変え不機嫌さを出してくる人・羨ましい対象の悪いところを探し集め「あなたのことが嫌いです」という装備で身をかためてくる人もいる相手がそういうつもりでなくても、受け取り側によってはマウントだと思う人もいる子育てに限らず、人間関係が発生する場所に身を置いていれば、大なり小なり誰しもがどこかで経験するようなことですよねそんな中でも、あまり人に関して無関心というか、無関心までいかなくても気にしない人もいる鈍感力っていう言葉好きなんですけど、ある程度人間関係においては鈍感力も大事だなとわたしは思いましたどうしても何事も敏感に察知できてしまったり、他人の空気感や表情の機微に触れやすい人もいます。それは1つの才能だと思います。人の感情を汲み取ってあげたり、対人関係において素晴らしいスキルだなと。でも悪い面では自分自身がしんどくなる事ですよね。空気を読むことにたけている。でも空気が読めすぎて、色々と考えるから身動きが取れなくなったり、考えすぎて空回りし、空気が読めない人みたいになることもあるのかなとHSPという言葉をよく耳にするようになりました。【自分もそうかも】そう気づけただけでも楽になれる人はいますよね似たような人は他にもいるんだと。それだけで少し前を向けた人もいると思います。HSPのさわりしか知らず、詳しく書いてある本をまだ読んではいないので、わたしがHSPについて語ることはないんですが。でもきっとわたしもHSPで、だから生きづらかったんだなと思いました 感受性が強い 外部からの刺激を受けやすい。 共感しやすい 疲れやすい 影響を受けやすい 自己否定が強い 変化に敏感まだ他にもあると思いますが、こうやって書きだすだけで、そうだなと思う出来事だったり自分の癖だったり。そういったものが分かったように思います今まであった事の1つに。いつも通り職場で挨拶をして【あっ、この人今日いつもと違う。】そう察してしまうことも多かったですあからさまに不機嫌というわけでもないのに。そしてそれは、相手がいつもと違うことじたいは間違っていなく、でもそれが自分に関係のある事かといえば、そうではないことの方が多い原因はその人が寝不足のせいかもしれないし、たまたま体調が悪いだけかもしれない。女性であればホルモンバランスのせいかもしれない。プライベートで何かあったかもしれないし、今朝出勤途中で自分にとって都合の悪い事があったのかも。とりあえず、その人自身に何かあったわけで、いつもと違う原因が『わたし』ではない理由はいくらでもあったでもあの頃のわたしは、【いつもと違う=何か不機嫌=怒っている=わたしはそれを受け取ってしまった=わたしに対して怒っている】そんな連鎖になることが多く。そう思ってからのその日のすべては、相手のことで頭がいっぱい何か嫌われるようなことをしただろうか。どうすればいつものあの人に戻るだろうか。話していたら機嫌が戻るだろうか。などなど些細な何かをキャッチしても、そのまま自分には関係のないことだと、放っておくこともできる人はいるのに気になって考えて、考えすぎてしまうところまでいく。結果、自分の人生なのに、考える事、行動する理由にはいつも他人が入っている。自分以外の誰か学生の頃からそんな感じで、もっと自分自身に目を向けていればよかったなと30を過ぎて思いました誰かのことを考えたり、誰かのために行動することは良いことではあると思いますが、度が過ぎたり、余計なことでいっぱいになるのは自分にとってもよくないですし。最終的に相手にとっても良くない結果になりそうですよね良いものをと。相手を思った送りものなのに、歪なものを受け取らせてしまいそうな気がします「ちょっと鈍感なくらいがいいよ」販売をしていたときに、他ブランドで働いていた人から言われた言葉です。鈍感って、ネガティブな印象を受ける言葉だなと昔は思っていましたが、それを言われてからは、鈍感って魅力的だな。鈍感になりたいなと思うことが増えました危険が起こるかもしれない場面以外は、とくに感受性が強く考えすぎる・気にしすぎてしまうわたしにとっては、ほしいスキルの1つです思考がいつも通りに傾きそうになったら、最初の方は無理やり考えている事・気にし始めている事を追い出そうとするようにしてきました。鈍感って、なりたくてもなれないような気もしますし見ないふりをするっていう意味では、出来るような気もするし。まだまだ難しいですね30代になってからは、20代前半までと比べると、わりと生きづらさがなくなったように感じますそれは図太さが増えたのか、他人のことに構っていられないほど自分にとって大切な何かを見つけたのか、今までの経験があったから「まぁ、いいや」と切り替える術を身につけ始めたのか。他にも何かきっかけのようなものがあるかもしれませんたぶん、どれか1つではなく、それらの少しずつが、今のわたしを少しだけ鈍感にさせてくれているのかなと思います