出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -19ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 『存在』という川崎洋さんの詩は魚の名前から始まる。<「魚」と言うな/シビレエイと言えブリと言え>。「樹木」というな。「鳥」というな・・・。

 終わりの二行が重い。<「二人死亡」と言うな/太郎と花子が死んだと言え>。一人ひとりに、歩んできた人生があり、これから歩むはずだった人生がある。この二行を伝えるために、川崎さんは筆をとったのだろう。

 (読売新聞、「編集手帳」(2017年3月29日)より)

 

 

 今日の朝刊の1面には、台風19号により、亡くなられた方が74人と伝えられていました。でも、数字からは見えない思いがその背景にあります。

 

 ・・・2016年2月に父が亡くなってから、母はつえをついて歩くこともあった。「僕もおふくろも、お互い強情っぱりだった」。ここ数年は疎遠になり、ほとんど連絡を取らず、墓参りのために帰省しても顔を出さなかった。今年6月に戻ったときも、家の外から明かりがついているのを確認しただけ。「おふくろ、生きてるな」。それが「母の気配」を感じた最後だった。

 (毎日新聞(2019年10月16日)より)

 

 74人のご遺族やご友人一人ひとりに、こんなに悲しい思い、伝えきれなかった思いが残されていることをいたみ、心よりご冥福をお祈りいたします。

 日本では、例えば「一寸法師」が最後に京の都に行って「めでたしめでたし」となるように、どうも「最後は花の都で」のような発想が大勢を占めているようです。

 一方で、石破茂さんが、伊原木隆太岡山県知事から聞いた話によると、海外には「最後は花の都で」という発想は少数派、ということです。つまり、「偉くなっていずれはワシントンDCで」とか「ロンドンで一旗揚げようとは、あまり考えない。それよりも、都会のいい学校で学んで、その経験、知見を地方に帰って生かそう、と考えるほうが普通なのだそうです。

 何が幸せか、を考えさせられました。

 

 そう言えば、チルチルとミチルが、幸福の象徴である青い鳥を見つけたのも、自分の最も身近な鳥かごの中でした。「オズの魔法使い」の最後は、ドロシーの「お家ほど素敵なところはないわ」という台詞で終わっていたような記憶があります。

 

There is no place like home.

(「オズの魔法使い」より、ドロシーの言葉)

 

幸せは、いつも身近なところに。

 島根県智頭町の「森のようちえん」のことが取り上げられていました。

 「森のようちえん」は自然の中で過ごすことを大切にした幼稚園です。ここでの大人の役割は、子供の共感者として、一緒に森をお散歩し、子供自らがつかみ取り経験していく様子をそっと見守ることです。

 

 ・・・その事がこどもたちに“自分は見守られている”という安心感(=他者への信頼感)と、“自分の力で何でもできるんだ”という自信(あるいは“自分はここまでしかできない”という自分の限界を知る)と、“仲間同士助け合わなくてはいけない”という気持ちを育んでいきます。

 (石破茂、『日本列島創生論 地方は国家の希望なり』より)

 

 「自信がある→見栄を張らない・謙虚→人に頼ったり協力したりできる」ということでしょうか。

 

 大人に見守られ、自然に包まれ、大きく育っていく子供たち。膝小僧をすりむいでもくじけずに、みんなで外遊びをする子供たちの姿が絶えなければいいなと思います。

 

 

昨日の私のブログのテーマは『美しい嘘』でした。

葉菜さんからコメントをいただきました。

短いコメントでしたが、若い頃の思いが込み上げてきました。

思い出したのが、そのころよく聴いていたオフコースの歌。

 

あゝ嘘でもいいから

ほほえむふりをして

(オフコース、『秋の気配』より)

 

同じく、この歌から。

 

こんなことは今までなかった

ぼくがあなたから離れてゆく

 

あの頃、大好きな人がいて、振り向いてくれなくて、

それでも、ずっと好きでいられると思っていたのに、

少しずつ気持ちが冷めていく。

今思えば、むりやり忘れようとしていたのかもしれないのだけれど、

そんな若さゆえの時間を、この歌を聴きながら過ごしていました。

 

今日、久しぶりにCDを出して聴いてみました。

部屋の電気をおとして、あの頃と同じようにして。

青春から遠ざかったオジサンでは、絵にならないのだけれど、

気持ちだけは、あの頃に帰りました。

 

 

 些細な、つまらぬことで嘘をついてはいけない。嘘は、一生つきとおそうと覚悟をきめたときだけにしておきなさい。

 (宮部みゆき、『桜ほうさら(下)』より)

 

 この言葉から思い出す物語は、オー・ヘンリーの『最後の一葉』。

 「あの葉が全部落ちたら、自分は死ぬ」と思い込んでいる肺炎患者のジョンジーのために、激しい風雨の中、絵筆をとり、煉瓦に一葉の蔦の葉を書いたベアマン。ベアマンは、無理がたたって2日後に亡くなってしまうが、その最後の一葉に励まされたジョンジーは、生きる希望を取り戻すという話。

 

 ベアマンの命がけの嘘=最後の一葉。

 私が「嘘は美しい」と感じた、最初の作品のような気がします。