昨日のブログで取り上げた『スローカーブを、もう一球』は、昭和60年初版。私が今回、読み返そうと思ったのは、今年初めの朝日新聞「天声人語」に取り上げられていたからでした。
まるで小さな子が投げるような山なりの“スローカーブ”でチームを甲子園に導いた、群馬県立高崎高校のエース・川端俊介さん。「天声人語」は、川端さんが56歳でお亡くなりになったことを伝えていました。川端さんは、その後、小学校の先生をしていたそうです。
コラムは、次のようにしめくくられていました。
教室で倒れた川端さんは「子どもたちの声が聞きたい」とリハビリに取り組んでいたという。どんな表情で子どもに接し、何を伝えてきたのだろう。思いを巡らせつつ合唱する。
(朝日新聞、「天声人語」(2020.1.8)より)
子どもたちに何を伝えてきたのでしょう。
「ピンチになれば、逃げればいいんだよ。」
「そのうち、いつかチャンスはまわってくるんだよ。」
こういうことを言いそうな気がします。
あるいは逆に、自戒を込めて、
「逃げてちゃダメだよ。チャンスは自分でつかまなきゃ。」
こういうことを言っていたのかもしれません。
でも、どちらにしても、きっと子どもたちの心に届く言葉だったのだろうな。