記述式問題で「個性」が分かる? ─『ことばの教育を問いなおす』(鳥飼玖美子 他)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

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「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 昨日のブログで「個性」を話題にしました。

 別の本から、再度「個性」を考えてみました。

 

 文章には、個性が現れるはずです。

 しかし、ただ、先般話題になった大学入試共通テストの記述式問題のように、文章が一定の基準によって評価されるとしたら・・・。そして、その評価の基準にしたがって、書き手が表現するとしたら・・・。

 もはや、それは、記号で答える選択式問題と大差ないように思われます。

 

 「考える力」を図るはずの記述式問題が、採点しやすいように正解が一つしかない出題になれば、「記述」の意味がなくなるのと同じです。

 (鳥飼玖美子、苅谷夏子、苅谷剛彦、『ことばの教育を問いなおす』より)

 

 ブログも同じでしょう。

 もし、「だれでも『いいね』が100個つくブログの書き方」なるものがあって、みんながそれにならって書くようになったとしたら、きっとそれぞれの個性はなくなってしまうように思います。

 格調高い文章もあれば、散文調もあり、写真が魅力的なものもあれば、イラストが個性的なものもある。それでいいのではないのでしょうか。