人間はもともと善なのか、悪なのか ─『旧約聖書を知っていますか』(阿刀田高)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 創世記では、神が人間の本質を決定し、定義を与えています。つまり、「人間とは、○○なものである」と神様はおっしゃったのでしょう。

 それに異を唱えたのがサルトルでした。サルトルは、「もともとどうだってことが、いかんのだ」という考えの持ち主でした。かっこよく言えば、「実存が本質に先立つ」ということです。

 

 そう言えば、学生の頃、友達と、人間はもともと「善」なのか、「悪」なのかについて語り合ったことがありました。生まれたときは天使のように純粋なのに、世の中の塵芥にまみれながら、しだいに黒くなっていくのか。それとも、生まれたときは、まだ人として十分でないものが、教育により人の道を学んでいくのか。

 

 これも、サルトルに言わせれば「もともとどうだってことがいかんのだ」ということになるのでしょう。善になるのも、悪になるのも、人間が選ぶべきこと。いわば自己責任。だからよけいに、人間は、悩み迷い、時には神にすがりながら、歩んでいくのでしょう。どうなるか分からない人生だからこそ、神に祈ることも多いような気がします。

 

 『旧約聖書を知っていますか』。題名は少々堅苦しそうな本ですが、中身は阿刀田さんの筆力により、イスラエルの民の物語を楽しめるものになっています。ぽっと出の流行り物ではない、堂々たる超ロングセラー「旧約聖書」を手軽に味わいたい方は、ぜひどうぞ。