仏のごとく ─『黒書院の六兵衛(下)』(浅田次郎)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

苦労をすれば人は非情になる。だが、中には仏のごとくなる人もあるのだと知った。

  (浅田次郎、『黒書院の六兵衛(下)』より)

 

 「つらいめに遭った人は、つらい人に優しくできる」と、当たり前のように言われますが、これって難しいです。特に、そのつらさや、苦労を乗り越えてきた人は、「オレの若い頃は・・・」なんて言ってしまいがちです。

 でも、時々、本当に大変な道を歩んで来たに違いないのに、それを微塵も感じさせない人もいます。そういう人は、間違いなく心が大きい。周囲の人を包み込む度量があります。周りを前進させてくれます。

 

 昨日、「肚(はら)で当たれ」の記事に、たくさんの方がコメントをくださいました。それを読みながら思いました。

 私は、仏のようにもなれなければ、「肚で当たる」度量もない(今日一日でよく分かりました)。でも私の周りには、仏のごとき人がたくさんいる。そんな人を思い浮かべて、がんばることはできる。だから、まずは、そういう人たちをしっかりと心の中に残していこう、と。

 

 もちろん、『モチモチの木』の豆太もその一人です。