小学校の時に国語で習ったお話の中で、一番印象に残っているのが、『ふじ山の鳥よせ』です。と言っても、話の筋は全く覚えておらず、その中の歌だけを記憶しています。子どもの頃、鳥よせの名人だった「お父さん」が、鳥を呼ぶために歌った歌です。
ちんちんからから、ほういほい
いっぴつけいじょう、ひのようじん
ずういきりきり、ちいちょんちょん
ひゅんひゅんけんけん、ぎょっぴるり
ごろすけぼうこう、ほうほけきょう
ちんぺぺちんぺぺ、ちちんぽい
いちぴいにいどく、さんぴいちゃん
てっぺんかけたか、ついびいびい
当時の担任の先生が、この歌をみんなに暗唱させていました。みんなで一緒に読んだり、宿題で覚えてきたり、そうこうするうちに、この歌は40年経っても耳から離れないものになってしまいました。
先日、ひょんなことから、40年前の国語の教科書を見る機会がありました。真っ先に『ふじ山の鳥よせ』を探し、読んでみました。
鳥よせ名人の「お父さん」が、あるひ、とうとうお城の飾りのホウオウまで呼んでしまったこと。それを返しにいったら、市長さんがいたく喜んで、褒美をくれたこと。そのようなあらすじは全く記憶からぬけていました。
何よりも、最終場面です。
「お父さん」が語る鳥よせの話を聞いていた子どもの、「お父さん、鳥の声、何かまねしてよ。」というお願いに対し、お父さんはこう答えます。
「お父さんの気持ちは、もう、あの時みたいに、軽々と、楽しくて、すうっとしていないのさ。それに・・・」
「声がわりしたもんで、もうだめなのさ。」
40年前は、『ふじ山の鳥よせ』の話を、体で味わい、リズムを楽しみ、おかげで大人になっても忘れない宝物のお話として自分の中に残りました。
今は、気持ちも体も純粋な子どもの世界に戻りたくても戻れない大人の淋しさを描いた物語ではないかということに気付きました。
それぞれに、その時々の自分をかけてお話を楽しんでいます。
本は、しっかりとそれに応えてくれます。