生きてきたことに対して ─『33個めの石』(森岡正博)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

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「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 2005年、107人が亡くなったJR福知山線の事故。

 その後1周年の追悼慰霊式において、慰霊の対象となったのは106人でした。

 死亡した運転士は、そこに含まれませんでした。

 

 2007年、バージニア工科大学で、学生による銃乱射事件が起き、32人の学生、教員が殺されました。そして、乱射した学生は、自殺しました。

 その翌週、被害者の追悼集会がキャンパス内で行われました。キャンパスには33個の石が置かれ、花が添えられました。犯人によって殺されたのは32人。「33個めの石」は、犯人のためのものでした。

 

 故意にしろ、過失にしろ、人の命を奪ってしまうことは決して認められることではありません。その遺族の方々の思いを考えても、許される行為ではありません。

 それでも、「33個めの石」が私に強く問いかけてくるのです。

 その人が生きてきた人生をどう考えるのか、と。

 

 追悼されるとは、故人の人生はかけがえのないものであり、その生と死には意味があったと、人々から承認されることである。どのような犯罪者であれ、その人間がこの世に生きたことの価値は、誰によっても否定されるべきではないと私は思うのである。

 (森岡正博、『33個めの石』より)