豊かになるにつれて、「それまで資本財であったものが、消費財になる」ということがしばしば起こります。何かのための手段ではなく、それ自体が目的になることが多くなるのです。
(野口悠紀雄、『知の進化論』より)
「何かを実現するために必要な手段」。これが資本財の考え方です。
一方、「それをすること自体に意味がある」というのが、消費財の考え方です。
例えば、健康な体をつくるためにスポーツをする。または、プロ選手であれば試合に勝ち、所得を得るたためにスポーツをする。これは、資本財としてのスポーツです。
しかし、現在、多くの人は、スポーツ自体を楽しむためにスポーツをしています。これが消費財としてのスポーツです。
野口悠紀雄さんは、「人工知能がいかに進歩しても、人間が知的活動のすべてを人工知能に任せ、自らはハンモックに揺られて1日を寝て過ごすという世界にはならない」と言います。なぜなら、人間は、知識を得ること自体に喜びを感じるからです。
ピアニストになるためにピアノを弾くのではなく、作家を目指して文学作品を読みあさるのでもない。ただ、ピアノを弾くことや本を読むことそれ自体が楽しいというだけ。それに没頭できる日々を「豊か」と言うのでしょう。