「しんどい」と口にしても… ─『一刀斎夢録(上)』(浅田次郎)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

…苦労をけっして看板にしてはならぬ。君たちの苦労はこの吉村がすべて承知したゆえ、二度と口にするな。苦労は口にしたとたん身につかずに水の泡となってしまう。身につけよ、よいな。

 (浅田次郎、『一刀斎夢録(上)』より)

 

 幼い頃、胃腸が弱かった私は、よく夜中に腹痛を起こし、病院に連れて行ってもらうことがありました。

 小学校の時だったでしょうか。その時も腹痛で、近くの病院に、母に連れて行ってもらっているところでした。腹痛をこらえられなかった私は、車の中でも、うんうん、うなっていました。

 

 その時、母が言った言葉が、

「うなっていても、お腹が痛いのは治らんのだから、黙っとき。」

でした。

 心配してくれているとばかり思っていた私に、その言葉が強烈に印象づけられました。

 

 以来、つらいことや苦しいことがあっても、その言葉が頭をよぎり、

「『しんどい』と言っても、『いそがしい』を連呼しても、それが解決するわけではない。」

と、辛抱するようになりました。

 

 これまで、父の思い出を語ったことがありましたが、母については初めてだと思います。

 どちらかと言えば、父は背中で示してくれ、母はずばりと言葉にしてくれた、そのように思い返されます。