フランスの名優が、ある有名な劇作家と「演技が大切か、脚本が大切か」という議論をしました。宴会の席上だったので、列席者は非常な興味をもって、この議論の行方を見守りました。
名優は言いました。
「君は脚本が俳優の演技より重要だと言う、僕はその反対に脚本なんかむしろどうでも構わないと言う。互いに言い合っていても際限がないから、丁度、ここにメニューがある。これから僕がこの料理表を読んで、ここにいる諸君を全部泣かしてみせよう。」
そして、そのお料理献立表を、いとも悲しき口調で読み始めました。
なんと、それを聞いているうちに、満座の人々すっかり感動して涙を流し始め、結局この議論は名優の勝利となったそうです。
また、『蟻とキリギリス』も、読み方一つで、
─ なるほど、キリギリスは夏の間、怠けていたのだから、蟻が食物を分けてやらないのももっともだ。
と思わせたり、
─ なんて因業な蟻だろう、キリギリスが腹を空かして、困っているんだから、少しは食物を分けてやればいいじゃないか。
と思わせたりすることも、自由自在だ、という話も紹介されています。
それでは、いったいどんな読み方をすれば、そのようなことができるのか。
原則は三つだそうです。
A・マ(間)のとり方、その感情は表すべく、実に適確であること。
B・声の強弱、明暗がはなはだ巧みに配置されていること。
C・コトバの緩急、遅速、申分なく調節されていること。
もともとは昭和22年に刊行された本を文庫化たこの本、「時代遅れ」ではなく、「代々伝わる話し方の秘伝」を説いた本と言えそうです。