孫ができたら ─『早く家へ帰りたい』(高階杞一)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 ひなぎくさんのブログに、大好きな詩と、まだ幼かった我が子との思い出が重なりました。

 高階杞一さんという方がいらっしゃいます。

 その方は、息子さん(ゆうすけ君)を、4歳の誕生日を目の前にして亡くしてしまいました。

 休日の朝、お父さんを起こして、フトンの上で相撲をせがむゆうすけ君を思いだし、高階さんが読んだ詩の一部を引用します。

 

(前略)

こどもは

いかにもうれしそうな顔で

ひとさし指をたて

もう一度とせがむ

何度も 何度も せがむ

 

こんなことなら

もっとやってやればよかったと思う

そんな朝

いつまでも床からぬけだせず

ひとり

こころの中でくりかえす

 

  ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ

  ノコッタ、ノコッタ… ノコラナ カッタ……

 

この世は

投げ飛ばしたり投げ飛ばされたりの連続で

体重別制でもなければとてもやっていけない世界だけれど

神さま

もし叶うなら

もう一度あの子と相撲をとらせてください

上手投げでもすくい投げでもハンマー投げでも何でもいい

もう一度ぼくに

ゆうすけを投げさせてください

あの日と同じ

このまだぬくもりの残るフトンの上に

  (高階杞一、「晴れた朝の神への祈り」(詩集『早く家へ帰りたい』収録)より)

 

 私も、息子や娘が小さかった頃、こんなふうに相撲をとっていました。でも、くたびれてくると、わざと負けて、「やられた~」と死んだふりをして、強制的に終了させていました。

 

 ひなぎくさんのお知り合いの方が、夏祭りの縁日で、お子さんにお面を買ってやらなかったこと。ひなぎくさんは、わたあめを我慢させてしまったこと。いろんな事情を抱えて、そうしてしまったこと、すごく分かります。ただ、年月がたって、もう二度とそういう日々が取り戻せなくなったとき、「もっとわがままを聞いてやればよかったな。」と思うのですよね。私が「もっと相撲をしてやればよかった」と思うように。

 でも、ひなぎくさんは、夫さんがわたあめをお子さんに買ってあげた。それがひなぎくさんの救いにもなっているし、幸せな思い出として残っている。それがいいなあと思いました。

 だから私は、いつか孫が生まれたら、今度は思いっきり孫を甘えさせてやろうと思うんです。ひなぎくさんの夫さんがなさったように。