あるがままに見る、聴く─尺八演奏家・藤原道山さんの言葉から─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 尺八演奏家・藤原道山さん

 NHK「日本語であそぼ」にもレギュラー出演されていた方です。

 

 尺八をやり始めたころ、藤原さんもなかなか音を出すことができなかったそうです。

 その時、藤原さんは考えました。

「大人はあんなに簡単そうに音が出ていたのに、どうして?」

「どうやったら大人と同じくらい息を伸ばすことができるのだろう。」

 藤原さんは、大人がやっていることをじっくり見て、まねる中で、知らない間に尺八の吹き方を体得していったそうです。

 

 藤原さんは言います。

 

 最近の学生の学び方を見ていて個人的に思うのは、「ちゃんと見ていない、聞いていない」ということが多いのではないかと。

 生き写しのように同じようにやっていくということは、いろいろな感覚を研ぎすまさないと自分の中に入ってきません。その瞬間でしか見られないもの、聴けないものであるという時間的な制約もありますし、限られた時間の中で会得していくことはとても大事だと思うのです。

 (『初等教育資料 2019年3月号』より)

 

 私が小学生だったころ、図工の時間に「写生」というのがありました。見たままの形と色で、本物そっくりに描く時間です。

 

 今はどうなのでしょう。少なくとも昔ほど写生は重んじられていないと思います。

 今は、自分が感じたまま、心に浮かんだままを描いた個性的な絵が認められている。

 たしかにそうなのだけれど、個性も大切のだけれど、

 “虚心坦懐に対象を見る” “自然の音にじっと耳を傾ける”

 そういう経験がないと、なんだか傲慢になってしまいそうな気がするのです。

 

 音楽や絵画に限らず、自分が一歩下がって相手を思う。

 昔から日本人が大切にしてきたそんな奥ゆかしさが、私は結構好きなのですけれど。