ふと、文豪と呼ばれる人の作品が読みたくなり、本棚に長く眠っていた『こころ』を手に取りました。
帯に「拳骨で読め。乳房で読め。」という、新潮文庫の懐かしいキャッチコピーが書かれていました。
さらに、「誤読オッケー、思いこみ深読み賛成。新潮文庫の、厳選された100冊は、頭だけでなく、拳骨でも、乳房でも読める、本当の名作揃いです。」とも。
ということで、誤読を恐れずに言えば、『こころ』は、格調高い恋愛小説です。
先生とKと御譲さんの、絡み合う恋愛感情。結局はKを欺く形で御譲さんを妻とした先生でしたが、そこに、今の恋愛小説に見られるような、華々しさは描かれていません。ただ、先生が訥々と御譲さんへの思いを語ります。
先生は言います。
世間はどうあろうともこの己(おれ)は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
友達を欺くことは、確かに罪です。恋をして自分を見失うことは、愚かなことかもしれません。
しかし、その苦悩する先生の姿に、私は、自分にもかつてあった感情を思い出しました。その人間的な弱さに懐かしみも感じます。だから、到底、先生を憎む気にはなれませんでした。
頭で読むと、明治の世相が見えてくる。拳骨で読むと、人間の弱さが見えてきて、乳房で読むと人生が懐かしく思えてくる。「拳骨で読め。乳房で読め。」になぞらえると、そういうことなのかなと思いました。