生きるということ ─『火の鳥 黎明編』(手塚治虫)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

永遠の命をもつと言われる「火の鳥」。

クマソの国の少年・ナギと火の鳥が交わした会話から。

 

ナ「なぜ、お前だけが死なないで、おれたち人間はみんな死んでいくんだ。どうしてそう不公平なんだ。」

火「不公平ですって?あなたがたは、何が望みですの? 死なない力? それとも生きている幸福がほしいの?」

ナ「おれにゃわからねえ! だが、おまえぐらい死ななけりゃ幸福だろう。」

火「ナギ、足もとをごらん。虫がいるわね。それも生きているわ。たった半年ぐらいしか生きていないのよ。カゲロウはもっと短いわ。親になってもたった三日の命よ。それでも不平はいいませんよ。」

ナ「虫けらに何がわかるもんかっ。」

火「虫たちは自然が決めた一生の間、ちゃんと育ち、たべ、恋をし、卵を産んで満足して死んでいくのよ。人間は虫よりも魚よりも犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに生きている喜びを見つけられれば、それが幸福じゃないの?」

 (手塚治虫、「火の鳥 黎明編」より)

 

 永遠の命を手に入れることが幸福なのか。

 私のそばにも、九死に一生を得た人がいます。

 その人は、毎朝目覚めるたびに「生きていてよかった。」と思うそうです。そして、「今日1日を目一杯生きよう」と。きっと「一生のあいだに生きている喜びを見つけられれば、それが幸福」と考えられる人なのでしょう。

 限りがあるから美しい。そのことを明日も考えてみようと思います。