昔、宋の国に狙公(そこう)という猿好きの老人がいました。生活が苦しくなった狙公は飼っている猿のえさを減らそうと考え、猿に「これからは、トチの実を朝に三つ、暮れに四つやる」と言いました。すると猿が、「少ない!」と怒ったため、「朝に四つ、暮れに三つやる」と言うと猿は喜んで承知しました。
そこから生まれたのが「朝三暮四」という言葉。目先の違いにとらわれ、結果が同じになることに気付かないこと、または、言葉巧みに人をだますことを表す四字熟語です。
この「朝三暮四」について、お二人の方が、なかなか奥深いことを考えていらっしゃいました。
一つめは─。
私たちが忘れてならないのは、「朝三暮四」の決定に際して、猿たちは一斉に、即答した、ということである。
政策決定のプロセスがスピーディで一枚岩であるということは、それが正しい解を導くことと論理的につながりがないということを荘子は教えている。
(内田樹、『街場の憂国論』より)
もう一つは─。
…サルのご主人のところでは飼育費が底をつき始めていて、この分では遅配、欠配も予想される状況である。これでは、なにはともあれ早いうちにどんどんいただくほうが勝ちだ。
このエピソードを聞いて、サル知恵をあざ笑ってはいけない。“朝三暮四”も、“朝四暮三”も、まるっきり同じことだと考えている人間より、このサルたちのほうがよほど理財観念が発達している。
(阿刀田高、『ことばの博物館』より)
お二人ともユニークです。
猿たちの置かれた状況をこんなふうに豊かに感じたとき、四角四面な四字熟語が新たな意味を与えられ、生き生きと迫ってきます。
ことわざは、ある意味、人生の真実を表しています。でも、、例えば「二度あることは三度ある」と言いながら、一方では「三度目の正直」というものもあります。それは、矛盾ではなくて、「あなたの人生はあなたで決めるのですよ」という選択の余地を残してくれてるようにも感じます。
朝に三つがいいか、四つがいいか。お猿さんたちの言動に学びながら、お猿さんたちに笑われないよう、自分でしっかりと判断していきたいと思います。
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