「楽しいはずの音楽」を楽しめるように | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 松岡三恵さん。

 4年前に78歳で世を去ったピアニスト。

 17歳の時に日本音楽コンクールのピアノ部門で優勝。その時の2位が、あのフジコヘミングさん。驚きなのは、松岡さんは自分のピアノを持たず、学校のピアノを借りて練習を重ねてきたということです。夜、誰もいない教室で一人、時にはロウソクの光で譜を読み、8年間も練習を続けてきました。そして彼女の演奏は、「もはや従来の日本人のレベルをはるかに越えていた」と絶賛されました。

 

 しかし松岡さんは、結婚を機に表舞台から身を引きます。

 彼女の夫で、音楽評論家の石井宏さん(88)は、こう語ります。

 

 (引退は)自分の意志でした。もともと華やかなものに興味はなく、目立つことを嫌っていた。日常を心豊かに暮らすことに価値を置いていた。

 ・・・自分の理想を貫いたのです。音楽事務所を遠ざけたのも、大学教師の口を断り続けたのも、規律に縛られれば「楽しいはずの音楽」ができなくなるからです。

 

 そして引退した松岡さんは、あり余る才能を、自分が脚光を浴びるためにではなく、音楽を通して人を育てるため、子供や若者のために惜しみなく使いました。

  (2019年2月23日の読売新聞記事から引用、要約)

 

 私は、小学生の頃、「プロ野球選手は、毎日野球ばっかりして暮らしていけていいなあ。」と思っていました。

 友達に言うと、「歌手だって、毎日好きな歌を歌って暮らしているんだから一緒だよ。」と返されました。

 でも、本当はどちらも大変です。自分の生活の全てがかかっている。きっと「楽しい」どころの世界ではないし、「好き」だけで続けられるものでもないのでしょう。

 でも松岡さんは、きっと、ただ純粋に音楽と向かっていたかった。そして、そういう音楽の「楽しさ」と「好き」という気持ちを次の世代に伝えていきたかったのでしょう。

 

 なんだか、昨日の自在置物作家・満田晴穂さんに、似ています。

 功名心でも損得勘定でもなく、自在置物や音楽の素晴らしさを伝えていくことを自らの喜びとする。私には、そんな大きなことはとてもできませんが、でも、せめて自分の「楽しい」「好き」をずっと大切にすることができたら、きっといい生涯になんだろうなあ、と思います。