七夕のお祭りに出かけた穂村さんは、昔懐かしのわたあめやハッカパイプがないことに気付きます。
代わりにあるのは、
「タコス、350円」
「チヂミ、300円」
「骨付きフランク、250円」
の貼り紙たち。
そして穂村さんは思います。
これらは、ちゃんとお腹にたまる「実質的な」食べ物だと。
それに対し、わたあめたちは─。
わたあめの原材料は、ひとつまみのザラメだけ。それで数百円っていうのは高いと云えば高い。でも、それはわたあめが「ふわふわ」してることの値段なのだ。
ハッカパイプやカタヌキなんかも、そうだと思う。なんか不思議、とか、どこか妖しい、というところが魅力。つまり、数百円はコストパフォーマンス的な実質を問われない、わくわくするような夢の値段なのだ。
二十一世紀の屋台では夢が売れなくなっているのか。
確かに、わたあめって儚いんですよね。楽しいお祭りが、あっという間に終わってしまうように、おいしいわたあめも、口にした途端に消えていってしまう。でも、だからこそ強烈にお祭りの思い出とともに心に残るんじゃないかなあ。日常とは違う、夢の時間として。