Y刑務所に送られてきた死刑囚S。
脱獄や強姦殺人を重ねてきたSは、当初、およそ人間とも見えない錯乱の状態でした。鼻汁を垂らし、ものも言えず、看守が身の回りや下のものの始末までしてやらなければなりませんでした。
そんなSに看守がしたことは、文字を教えることでした。最初は、「わしゃ、馬鹿じゃけん」と撥ねつけていたSでしたが、次第に関心を示すようになりました。そのうち、一人でも勉強するようになり、国語辞典を求め、「字を教えてください」とせがんでくるようにさえなったそうです。
文字を覚えたSは、母親に手紙を書くようになり、「おふくろはヨーグルトが好きだったから」と、作業賞与金を蓄えて、仕送りをするのでした。
ついには、看守との間にこういうやりとりも行われるようになったそうです。
看守の見回りの時、Sは、「真摯」という字をノートに書いて、「これはどう読みますか」と聞いた。看守は生憎知らなかった。そこでそしらぬ顔で急いで自室に帰り、辞書を引いて立ち戻って、「これはしんしと読む、真面目で誠実。大事なことばだ。よう心得ておけよ」といった。
Sは笑いながら、「ハハハ、先生、知らんかったんじゃろ」と、大喜びであったというのである。
(村井実、『教育からの見直し』より)
そして、Sのことを記した手記は、「こうして昭和○年の晩春、Sはしずかに死刑台にのぼったのである」と結ばれています。
今は、文字を書けない人というのは、ほとんどいないでしょう。学校でも、塾でも、文字を教えてくれます。でも本当に大切で、伝えなければならないことは、文字を通して、人と人とが心を通わせることのすばらしさなのでしょう。